2021年07月14日
夏だ
夏が来た
最近は、季節がパキッと変わるので
わたしも、パキッと把握
地球が変わったのか、わたしが変わったのか
昔はもう少し、移ろいがぼんやりしていたような
いつの間にか夏だねー。。
が
今日から夏ですね!
になってる(気がする)
今年の夏の始まりは、昨日の朝焼けだった
年を重ねると寝れなくなって、睡眠時間が減るって思ってたけど
一向に減らない
起きたら夕方、とかはさすがになくなったけど
そういう目覚ましが鳴っても寝るタイプですが、一年に何度か、朝早くぽっかり目が覚めるときがある
昨日の朝は、起きたら自分がぽかっと居て
そんな表現にしかならないんだけど
それから窓へ目をやると、気配がして
のぞくと、右側にオレンジ、ピンク、ブルーのグラデーションの空が燃えるように迫っていた
左側をみると、照り返しは、美しい宝石のようなピンクだった
水にうつって、更に全体が煌めいていた
なんじゃこりゃー。。
と、目をシパシパさせながら、急いで外へ出たんだけど
色は薄く散らばって、もうそこにあの空はなかった
わたしは日の出くらいの時間、大体寝てるから
「朝」を知らないんだな、と思った
世界はいつも劇的で
わたしたちは、とんでもないバランスの中に、あまりにも無邪気にいる
何日か前に虹をみた
ふと後ろを向くと
反対側は、夕暮れが、黄金の時間をゆったりと終わらせようとしていた
世界は美しい
それは、もうそうでしかない
先日YouTubeで、誕生日は生まれた日ではなく、単にお母さんのお腹から出た日だという話をしていた
私たちは、お母さんのお腹の中でも生きている
なんなら、受精する前から卵子・精子も生きている
卵子・精子は、いつから生きている?
私たちは、いつから生きている?
私たちはいつ生まれる?
そんな話だった
体は、新陳代謝を繰り返してくれている
ほぼ三年たつと、骨から何から体の全ては生まれ変わっているらしい
三年前の自分は、今ここにいない
私たちが何かを「しよう」と思う
その0.何秒か前に、脳からは先に体を動かす指令が出ている
私たちは、考えて決めて動いてるつもりで
でも本当は、考えて決める前に体が動いているという
それなら
わたしって、なんだろうね
よくわからない
先週行った古本屋さんで、若松英輔さんのエッセイ「本を読めなくなった人のための読書論」という本を薦めていただいた
この本は読書論だけど、人生に立ちどまってしまったときのための人生論でもあった
わたしは、若松英輔さんが好きで、この方の書いたものを読むとなぜか泣けてくる
それはきっと
若松さんが、寄り添うために言葉を紡いでいるからだと思う
とてもやさしく、染み渡っていく
それはきっと、「在り方」なんだなあ
この体に、何が入っているのかはわからない
わたしのいのちだと思っていたけど、「わたし」の定義も、「いのち」の定義も案外に曖昧だ
どこまでが、いのちで
なにが、わたしなのか
でも、ここには何かがあって、それに「いのち」と名前をつけた人の気持ちは、何となくわかる気がする
やさしい言葉を読んだとき、美しい景色をみたとき、胸のあたりに湧き上がる震えるような感じ
その場所を、「こころ」と名付けた人、グッジョブと思う
わたしは自分のことを、勝手に「わたし」だと決めつけているけど
それはどうも、概ね勘違いで
でも、わたしのこころは、今日もここで、泣いたり笑ったりしている
泣いたり笑ってりしているのは、きっと「わたし」だ