2019年02月16日
立ち枯れる
先日の木寺さんの写真の中に、枯れたアジサイがあった
その時に、アジサイは立ち枯れる、という話をギャラリーのオーナーとしていて、思い出したことがある
アジサイは、咲いていた姿のまま、枯れていく
上の写真は、大宰府の、あるお寺だ
初めて伺った時は、紅葉の季節だった
雨で観光客もいなくて、動物の気配より、植物の気配が強く
静かな歌が、足元から湯気のように立ち上っているようだった
私は、空からの雨と、木々や草花や落ちた紅葉の歌の中にいて、アジサイの立ち枯れの群生に、突然出会った
きっと満開の頃は、花の鮮やかな色が、人目をギュンギュンひいただろう
でも今は、枯れていたから近くにいくまで気づかなかったのだ
辺り一面、アジサイが枯れていた
咲いていたそのままの姿で
「私は私」
前も書いたけど、その時は、そう言ってるように感じた
花は別に、人間のために咲いたり枯れたりしているわけではない
ないんだけど
自分は、人の目を気にして、人から認められたくて、今よりだいぶガッチガチだったから
アジサイの立ち枯れに、物凄くしびれた
なんちゅうかっこよさだ
今もまだ、少し重たいけど
それでもだいぶ、軽くなったような
アジサイ
立ち枯れて
アジサイ
ただただ枯れて