2018年03月13日
春になると、ゴミも増える(気がする)
ちょっとした草地があって、水仙が咲いて、空のペットボトルがあって、電車がきて、踏み切り待ちをしている私がいる
海老蔵さんがTVに出ていた
悲しみの乗り越え方を知ってる人だと思って、不謹慎に興味深く、そのお話を聞いていた
淡々と、大変だと語り、日常の何気ないひとこまを、優しく話していた
そこには、悲しみがあった
乗り越えられない悲しみが、あった
そうか
悲しみは、乗り越えなくていいのかもしれない
側に置いて、大切に寄り添う
自分や周りの人の心を、悲しみから見上げたら、その優しさは染み入って、体温は包み込む程に温かい
きっと晴れた日の空は、涙が出るほど綺麗で、雨が降れば、いらないものがしとしと流れていって
あなたがいない、ということは、すべてにあなたがいる、ということなんだろうか
それが、悲しみ
とてつもなく、深く優しい眼差しを、感じた
昨日は、多くの方が、悲しみを抱えた日だった
途方もなくて、私は
道端の水仙に、草の上のペットボトルに、その向こうの電車に、踏み切りの甲高い警告音に、何か言葉にならない、静けさみたいなものを感じている
ただ、それだけ