ある日、自分が自分の講演会をやる妄想をしていて
で、何を伝えるか
そんな思いで、原稿を書いてみた(暇)
とはいえ、特に語るべきことがなくて、だから、ひじょーに何それな出だしになっている
でも、せっかくなので、ここに備忘録としてのっけとこ、と思い
たまたまお時間ある方に、捧げることにします
皆さんの前に立ってお話できるほど、私には経験もなければ、成し遂げたこともありません
日々、流されるように生きてきました
やりたいことがありました
でも、あきらめました
私より才能ある人はいくらでもいたし、私より努力家の人はいくらでもいたし、私よりコミュニケーション能力の高い人はいくらでもいたし、私よりガッツのある人はいくらでもいたからです
実際そういう人は、自分だけのものを見つけているように見えました
ゆるぎない自分を持っていました
みんなに正直でした
愛されてるように見えました
なぜ私は、あの人のように出来ないのかと、何度も自分が嫌になって、そんな自分を守るため、色んな対策を取ってきました
まずは、あきらめること
それから、言い訳すること
すねること、悪口をいうこと
そして、逃げること
その場の楽しいことで、ごまかすこと
眠ること
食べること
忘れること
友達に慰めてもらうこと
いつも、そんな自分に罪悪感があって、悪いことがおきると、あー自分のせいだと思いました
自分が頑張ってないからだ
自分ができてないからだ
自分が招いたことだ、と
神様からの罰だと、思うこともありました
こんな私じゃ、誰も寄ってこないだろうと思って、先に人と距離をとりました
いつもいい顔ができるよう心がけました
笑いたくなくても、笑いました
傷ついたのに、傷ついてない振りをしました
自分は鈍感なのだ、と周りに言っていました
そうこうするうちに、自分のことが分からなくなりました
単なるわがままも、本当の望みも、判断つかなくて、その場にいる人たちをみて、自分の立ち位置を決めるクセがつきました
私のせいで、嫌な思いをさせたくなかったのです
私のせいで、誰かが傷つくのが嫌だったのです
本当は、、、
そのせいで、自分が責められるのが嫌だったのです
何か問題が起こることが、面倒くさかったのです
やりたくないことを、人に押し付けました
自分より優しい人に、怒りをぶつけたこともあります
罪悪感は増えていきました
いいことがあると、悪いことがくると思うようになりました
神様からの罰に耐えられるよう、いつでも心の準備をしていました
どうせうまくいかない
何をやっても中途半端
一生懸命に出来ないのは、とても失礼だ
ずる賢い、あざとい
自分の中には監視者がいて、何から何まですべてチェックし、すべてジャッジしました
これはいい、これはダメ
ほら、いった通りでしょ、なんで出来ないの
努力しなさい、やればできる
がんばれ
もっと頑張りなさい
もっと頑張りなさい
そんなことを考えながら、毎日、寝て、起きて、学校にいって、その内仕事に行くようになって
実家の父母のぐちを聞いて、おばに誰かいい人はいないのかと言われて
何となく濁しながら
お休みの日は友達とお茶をして、好きなものを食べ、コーヒーが飲めるようになってからは、よくカフェに行って、外を眺めています
友達はいい人ばかりで、それでもたまに、空気が変になったり、言いたいことが伝わらなかったり、悲しい思いもしました
悲しい思いをさせたこともあったでしょう
好きな人も出来ました
胸が張り裂けそうでした
幼なじみが亡くなりました
自分の心臓の音を、あんなに大きく感じたことはありませんでした
彼女のご両親に、最近、桃カステラをいただきました
すごく美味しくて驚きました
わたしも、みんなも、年を重ねていきました
会わなくなった人も、新しく会う人もいて、私の周りは、地球と共に回っています
通り過ぎてどこに行ったのか、時折懐かしく思い返します
また、戻ってくることもあるでしょうか
晴れたり、雲ったり、雨が降ったり
急に寒くなったり、それでもこの辺りの寒さは、かわいいものかもしれません
世界は美しいです
春には花が咲いて、色が溢れています
そうやって、生きてきました
全部、全部大事です
なぜならそれは、私だけのものだからです
わたしは皆さんに、お伝えできることは、何も持っていません
でも、気楽にいきましょう
心に何もなくとも、何かがいっぱいに詰まっていても、それが何で
あっても
それは、皆さんだけのものです
それが、私であり、皆さんなのだと思います
ありがとうございました