2023年05月26日

なんでこんなにヘナヘナと風に吹かれてるのに倒れないんだろうと、不思議だった
ピントが合わない、合わない 笑
あきらめて、とりあえず連続で撮り続ける
そんなことをやってると、いつの間にか時間が過ぎて、はっと我に返る
ずいぶん日が長くなり、余計にびっくりしてしまう
でも、一日が長くて嬉しい
嬉しくて、帰りたくなくなってしまう

NHKで、サグラダ・ファミリアの特集番組をみた
2018年から、いよいよイエスの塔の建設が始まった
主任彫刻家は日本人、外尾悦郎さんだ
どの彫刻家よりも一番長い期間、サグラダ・ファミリアを彫っていて
その方が、イエスの塔の内装に携わる過程で、更に深くガウディと繋がっていく
それは、神の啓示のように、外尾さんの目の前に現れた
ガウディが残した、100色以上の顔料のサンプルに出会ったのだ
外尾さんは、色がテーマだったと確信したという
番組で公開されていたイメージ完成画像のあまりの美しさに、イメージだけでこんなんって、完成した本物は、どないなるねーん!と、胸がパッパカパッパカ、ラッパの福音を聞いたみたいに高鳴って、内容がよく頭に入ってませんが(^_^;)
「光あれ」を、3次元の肉体で体感できるかもしれない、しかも天に一番近い祈りの場所で、、と
神社仏閣大好き女子のわたしでも、頭の中で祝福の鐘まで鳴り響き、ひざまづきたい衝動にかられた

自然は色だ
世界は、様々な色の夥しいグラデーションだ
色は光だ
だから、感じることができる
光と、わたし
ふりそそぐ光に、自分のどこを使って、どんな意識を向けるかで、その間に立ち現れるものは変わる
一方的ではなく、交換、呼応が起こる
初めて写真展をしようと思ったとき、しばらくテーマを悩んでいた
そんな中、タイミングがあって、熊本へ石牟礼道子展をみに出かけた
写真展の会場で、石牟礼さんの代表作「苦海浄土」の朗読ライブをやる予定にしており、私にとってものすごく意味のある機会となり
その展示の中に、水平線に点滅している、という文を見つけたのだ
確か直筆で、何かの文章と文章の間の一節だったと記憶している
わたしは写真展のタイトルを「水平線に点滅」と決めた
点滅していたのが何だったのか、石牟礼さんが書いていた話の内容はもう覚えてないけど、水平線の向こうで点滅しているものと、それを見ている自分が呼応している、というイメージが、一瞬にしてわたしを掴んだ
光の速さで

数日前、母の誕生日だった
うちは父が遠洋漁業の船乗りだったので、ほとんど家におらず
母も父も、それぞれがそれぞれに苦労して私たち兄弟を育ててくれたのだろうと思う
ずっと母の役に立ちたかった
だからわたしは、ずっと優等生だった
今考えると能力以上のことをしようとして、すんごい無理してたなあと笑えるくらいだけど、当時はきっと必死だったんだろう
気づけばわたしは、ずいぶんこじらせた大人になった
でも、最近思うのだ
わたしは、やる気満々でこの世に生まれてきた
わがままで、天真爛漫で、勝手気ままな子どもだった
人見知りがなく、誰からも愛された
近所の人ん家に上がり込んで遊んでるような、すぐに手を振り払い迷子になるような子どもだったから、きっと手がかかっただろう
でも、母は、わたしが生まれて救われたんじゃないかと思う
田舎から知らない土地にきて、父はいなくて、母はすごく孤独だったはずだ
まだ若くて自信もなくて、父がいないぶん、親戚づきあいも大変だったと聞く
だからわたしは、やる気満々で母を選んで生まれてきたのだ
グッジョブ、わたし
小さいわたしは、生まれてきただけで人を救い、役割を果たしたのだなあ
そう思ったとき、自分自身が救われた気がした

なので
いま無職の自分を、許します 笑