お正月につぶやくのもなんですが
年末参りにはまっておりました
思い立ったが吉日で
昨年末はけっこうご挨拶できました
年始のどひゃ~ぶひゃ~な盛り上がりはもちろんありませんが、ワクワク感があって、個人的にはこちらも好き
神さまも、イベント前夜っぽいうきうきを感じてるのか、何となく境内は楽しそうで
でも、年の瀬の、あー今年も終わるわねー、という気だるさの中の安心感もあって
感謝、というワードに包まれている気がするのだ
(初詣に比べると)少ない参拝客の方々から、「ありがとう」が聞こえてくる
そんな、じんわりほっこりな空気感
元旦
まったりするつもりでしたが、なぜか、名もなきバス停で名もなきテイクアウトのコーヒーをいただきながら、一人日向ぼっこしておりました
あー
まったりはしてますね笑
なん十年かぶりに、氏神さまにお参りしてきました
というのも、先日ふと、自分の氏神さまってこちらの神社じゃない?あれ?となって
今までお参りしてたのは、広い地域を総括的に守ってくださる神社で、氏神さまはすぐ近所にいらしたのです
よくよく思い返してみれば、小さいときは普通にお参りしていて
十三参りのお祓いとか、やっていただいたな
なぜこのタイミングで思い出したのか、不思議ではありますが
そういうもんかもね
光は、激写されてるみたいに眩しくて
文字通り、目眩がしそうで
十字の残像は、いつまでも目の奥に貼りついていた
目眩は、眩しいという感覚を含むのか
わたしは、この世界に、くらくらと目眩を感じている
気づけば全ては眩しくて
どうしようもなく誰かに伝えたくなる
日の出の予定時間になっても、なかなか日は上らなかった
光が近づいてくる気配だけが高まっていた
もう上ってこないんじゃないか、と半ば本気で思ったとき
何の気なしに、山の稜線からそれは現れ
何のつっかかりもなく、空へ浮いていった
変な言い方だけど、地球の自転の力は、浮力に似てる
海の底から海面へあがっていく泡をみているようだ
こんな風に、日がのぼるように在れたらどんなにいいだろうと憧れた
私たちが、初日の出やらなんやらって拝んで喜んでるのを尻目に
日の出は、もったいぶること一切なく(当たり前)
ふわりと、独特な浮力で軌道にのり
あっという間に、いつもの見慣れた太陽になる
だけど、その現れた光は
一瞬にして世界を変え
全部が、光の振動にあわせて、震えだす
わたしも、ゼロからイチのあいだを震え
細胞の、組上がっていく音をきく
あたたかい
なんてあたたかい
わたしをどこかにおいて
震える世界の中へ
あれ、とはいえ寒いぞ
芯から冷えた
帰ってから、お茶でものもう
という訳で
今年もよろしくお願いします