2021年11月29日
八女に行きました
ここ半年くらい、行きたいなあと思っていたけど、タイミングが合わなかった
タイミングは逃すと変な感じになるので、もう行かない案件かもなと
宙に浮かせていたんだけど
ここ、というタイミングがきた(気がした)ので
なんかモチャモチャすることをかわしながら、行って参りました
思うに
今だよ、というタイミングと
今は寝かせとく、というタイミング待ちの場合があって
それがずれるとき、よくわかんないときは
お金がない、とか
他人に余計な気を遣ってる、とか
遠慮を優先する、とか
めんどくさい、とか
自分が自分とずれているときだな、と完全にわかった
それは、大きいっぽい決断でも、今回みたいに、旅行とか小さいっぽい決断でも同じことで
その「決める」ことの連続が、未来なんだと納得実感的
自分の決断を信じるって、そんなに大げさではなくて
直感とは
朝、便意を感じてトイレにいく、というくらい何気ない体感覚なんだな
でも、その便意を我慢したりその時忘れたりすると、タイミング逃して、そしたら、便秘したりするから
自分の感覚は、便意くらい優先したい
便秘にならないように
というか、便意は無視しちゃだめだー!
。。何の話しだっけ
山の銀杏は、黄色がとにかく鮮やかだった
黄色は、空気にはじける色だな
色のベクトルが、外を向いているイメージ
水彩画の絵の具で、空をぬっていくみたいに
みるみる光のような淡い黄色で、空が染まっていく
パッチワークのように、八女の山を彩る銀杏は、他の緑より少しだけ背が高く
銀杏どうし、やっほーやっほー、と会話しているようだった
きっと銀杏はおしゃべりだ
赤は、内側に入っていく色だ
内に内に、赤が深まっていく
明確な意思
静寂
でも、川に散っているのを見ていると、もみじの方が水と馴染む気がする
銀杏は、水に溶けださない
もみじの赤は、川を染め
銀杏の黄色は、空を染める
なんという季節
もっと感じたい
もっと遊びたい
といっても、わたしの単なるイメージなど
季節は、軽々超えてくる
上の写真の葉っぱなんか、まるで神さまの足あとだ
八女についたときは、雨だった
さらさらさらさら、音もなく降っていた
ランチを食べて、八女津媛神社にお参りしたときは、雨はやみ
雨上がりの紅葉のじゅうたんが、ヤバかった
散りたての葉っぱは艶々で、しかも、お米が立ってるばりに立ってる!
そして、ツルツルよくすべるw
雨だったお陰か、誰も足を踏み入れていない
私たちがみなければ、きっと誰もみることのなかった瞬間
それは、特別な何かではない
見えない存在からのサインでも
自分を肯定する出会いでも
神さまからの祝福でもない
それが美しさだ
それが美しさなんだ
ただそこにあって
圧倒的に
「無」
宇宙の静寂
それを越えることのない自分という雫
一滴の波紋
ああ
わたしたちは、波紋なんだな
風がくる
また枯れ葉が、静けさをまとって降る
降る
重力は泣くほど美しい
すべては寸分の狂いなく
ドミノのように
方程式が解けるように
はらはらと散る
☆朗読劇「銀河鉄道の夜」宮沢賢治原作
に、出演します
12月5日(日)14時
いとの森の歯科室 ライブスペース
819-1331 糸島市志摩久家1193-1
電話番号092−332−2555
チケット1500円(小学生以下無料)
ジョバンニとカムパネルラの銀河の旅へ
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