熊本の水俣へ行った
本来の目的は、水俣の手前、津奈木町のつなぎ美術館であっている「MINAMATA ユージンスミスとアイリーンスミスがみたMINAMATA」という写真展だった
ジョニーデップ主演の映画に合わせて、開催されているらしいのだが
高速で3時間かけて行ったにも関わらず、なんと休館中だった
思わぬことに笑いがw
。。。で
水俣のエコパークというところで、水俣湾をみながら、淹れたてのコーヒーをいただくという贅沢を味わうことになった、という訳だ
10月とは思えない陽射しが、とても眩しくて
内海の湾は穏やかに凪ぎ、キラキラ輝いていた
海をみながら、「MINAMATA」展に行けなくて、少しほっとしている自分がいて
なんでかなと考えていた
わたしは定期的に、水俣病の記録文学でもある石牟礼道子さんの「苦海浄土」という作品を、ライブで朗読している
だからこそ、今回誘ってもらったんだと思うんだけど
写真展の世界に入っていくのが、ちょっと気が重かったようだ
朗読ライブをするときは、作品の背景や人物の心情を想像して
毎回、ある程度の覚悟をして挑んでいる
当たり前だけどw
それを思い出した
自宅に帰ってきて、お風呂で海を思い出しながら、何だか涙が出た
「苦海浄土」に触れる過程で、出会った言葉がある
「チッソは私であった」
ご本人も水俣病を長年患っておられる、緒方正人さんという方の辿り着いた思想だ
チッソというのは、当時、水銀を湾に垂れ流していた会社の名前で
緒方さんは、保障を巡り、先頭に立って国やチッソと戦われていた方でもある
ある時、その活動から身を引かれ
個人で水俣湾に船を出し、漁を続けておられると聞いた
豊かな海
その海をつくる、山や木々
温暖な気候
その豊穣な自然にとって、チッソも自分も、人間という同じくくりの中にいる
チッソが作っていたプラスチック製品は、高度成長期の日本で重宝され
というか、わたし自身も、その恩恵に預かっている
緒方さんは、戦うことをやめられた
人間というのは、平気で水銀を海にばらまくことも出来るし、緒方さんのような境地に至ることも出来る生物である、ということに
その振り子の振れ幅に
その目の前の海のような、光の生まれる境地に
恐れ
畏怖する
わたしは?
「恋です!」というドラマをみていて
弱視の主人公の女の子のために、ちょーヤンキーの男の子が、点字ブロックの上の放置自転車を片すシーンがあった
わたしは普段チャリを乗り回してるけど、気をつけてるつもりだけど、気づかずに、点字ブロックの上に自転車を放置してなかっただろうかと考えて
胸が痛くなった
知らないということが、人を傷つけるということに、悲しくなった
ああ、でも
知っている、ということだけでも、救いになることもあるんだな、とも思う
なんか、言い方がまわりくどいけど
罪悪感をもたず、出会ったものを、知っていこう
そこから広がる世界が、やさしいといいなあと思う
自然のように