2019年03月08日

恐らく世界は、私が思うよりシンプルだ
この花の輝きは、物理的な花の数多の細胞と、気の遠くなる歳月をかけて作り上げ今も尚変化し続けるしくみと、その立つ土の成分と、立つ位置と、地球の日本の九州のいなかの私の実家の場所と、ここの、今ここの天気、気温、太陽に対する地球の角度、雲の切れ間、それをこの時間に見る私と、私の心のコンディション、感度、携帯のコンディション、そんな、あげたらきりのないもろもろの偶然という奇跡なのか、当たり前なのか、そんな「今」という瞬間に瞬時に流れていく「今」
それがこの輝き
なんだけど
それを、息切れする程羅列して書き上げるより
「綺麗だ」
そう思う自分がいる
それだけ
その方が伝わるし、その方が、「輝き」に近い
だから
仕事、人との関係、やりたいこと、好きな人、病気、親との関係、なんか色々の、あらゆる悩み
考えだすと投げ出したくなる、日常に差し込まれる不安、焦り
それも、あって無いようなものなのかな、と思う
それがあってもなくても、私は、「私」に一番近い所にいることに変わりはなく
それが「私」
今日は雨だ
雨だと特に行きたくなるカフェで、キーマカレーを食べた
パン、うまい
もう少し食べたい
と思っていたら、店員さんに、パン、おかわりいかがですか?と声をかけられた
パンのおかわりが出来るのを知らなかっただけなんだけど、嬉しかった
シンプルだな
例えば、地球に住む私達のあらゆる感情は、どこに行くのだろうか
消えてなくなるのか
どこかにとどまるのか
とどまるとして
それは、土の中に、というより、水をつたって、海に流れるのではないか、と思う
そしたらそれは、雨になり、私に降りそそぐ
たまる、というより、循環する、というイメージだ
この星には、いろんな感情が循環していることになる
今ここの私の感情も、何百年前の、誰かの感情も、等しく
あなたが今、一番感じたい誰かの感情も、もしかしたら、この雨に紛れて、あなたに降り注いでいるかもしれない