2023年12月28日

気づけば、前回の記事から2ヶ月以上経っていて、びっくりしている

久しぶりに、いち社会人として、社会に参加していた

実家に戻り、毎日何品もあるおかずに歓喜しながら

あんまり美味しい美味しいと言って食べるので、父母は困惑している

きっと、今までどんな食生活だったのか、聞くに聞けないんだろうなあ

ちなみに、特別豪華とか、凝ったメニューとか、母が料理得意とかではない

美味しいとは、味が良いだけではなく、そこに美しさがあることなのだ

普通の、わかめと玉ねぎとあげの味噌汁が、作りたてはキラキラと輝いている

ただただ、体が喜んでいる

体力が落ちまくって、階段を上るのがつらくてつらくて
でも、気づけば、一度も止まることなくチャリで坂道をこぎあがれる程度には、回復していた

着の身着のままで、ふらりと実家に戻った感があるが、もしかしてわたしは、ベストな選択をしてるかもしれない

知らぬ間に、命の危機を脱したかもしれない

ちょっと大げさだけど、気づかないだけで、人は危険を回避していることがままあるものだ

グッジョブ、わたし

この2ヶ月、色んなことがあった、、気がする

あったかな?あったよな

まだ、生活は安定していないけど、どちらに舵を切るか、選択するときの基準がこれから変わるであろう出来事があった

11月、一番好きだったミュージシャンのKANさんが亡くなった

これをいうとみんなポカンとするけど、ファンにとってKANさんは、アイドルであり

かくいうわたしも、今はさすがにそこまではないが、昔はライブの後に号泣して、ここを離れたくないと一緒に行った友人を困らせ

絶対結婚する!とのたまわっていた

本当に大好きで
こんなに自分にしっくりくる音楽性、エンタメ感、歌詞の世界観、人間的ダジャレ感があるだろうかと、アルバムが発売されたり、ライブがある度に、ワクワクが止まらなかった

それは最近のアルバムも同じ、というか、ある意味その上を更新してきて

新たな感動を覚えたばかりだった

今でも、こんなミュージシャンになりたいと、心からの憧れを抱いている

そんな人がいなくなった

それは、不思議な感覚だった

別に、涙が止まらなかったり、食欲がなくなったりした訳ではない

案外、普通だったけど

わたしがKANさん大好きと知ってる友人らから、大丈夫?という心配の連絡をもらっても、しばらくはそのことについて話したくなかった
(友人よ、その節はありがとう)

どういう気持ちなのか自分でもよくわからず、とりあえずこういう時はと思い立ち

コーヒーを手に、父の三輪チャリで、夕日でも見ようと海に出かけた

むちゃくちゃきれいな夕焼けで、雲の隙間から、沢山の光のはしごが降りていた

あーきれいだなあ、と思いながら
死ぬって、この景色を、今、見れないことなんだなと思った

と同時に、同じ時代を生きれたことの感謝を、しみじみと感じた

この美しさを、もちろん一緒ではないけど、どこかの空の下で、共有してきたのだ

そこから、KANさんの曲はこの世界に生まれ
わたしは、聞くことができた

しかもわたしは、歌うことにある意味導いてもらった

だから、という訳でもないんだけど
歌わなければな、と思った

たくさんのファンの方々の中に散らばっていった、KANさんの生きるというメロディ

その一部はわたしの中にもあって、だから、歌わなければ

楽しんで
大切に
みんなと

人を大好きになるということは、時に悲しいことだけど

好きになって良かったな、と改めて嬉しくなった

「よければ一緒に」というKANさんの名曲がある

雨が降ったら、よければ一緒に雨宿り
星がキラキラの帰り道、よければ一緒に帰ろう

そのほうが楽しいよ

そう優しく、らららと歌うKANさんは最高だ

御冥福をお祈りすると共に、これからもKANイズムを折々に楽しんでいきたいと思っている次第です