気づけば、前回の記事から2ヶ月以上経っていて、びっくりしている
久しぶりに、いち社会人として、社会に参加していた
実家に戻り、毎日何品もあるおかずに歓喜しながら
あんまり美味しい美味しいと言って食べるので、父母は困惑している
きっと、今までどんな食生活だったのか、聞くに聞けないんだろうなあ
ちなみに、特別豪華とか、凝ったメニューとか、母が料理得意とかではない
美味しいとは、味が良いだけではなく、そこに美しさがあることなのだ
普通の、わかめと玉ねぎとあげの味噌汁が、作りたてはキラキラと輝いている
ただただ、体が喜んでいる
体力が落ちまくって、階段を上るのがつらくてつらくて
でも、気づけば、一度も止まることなくチャリで坂道をこぎあがれる程度には、回復していた
着の身着のままで、ふらりと実家に戻った感があるが、もしかしてわたしは、ベストな選択をしてるかもしれない
知らぬ間に、命の危機を脱したかもしれない
ちょっと大げさだけど、気づかないだけで、人は危険を回避していることがままあるものだ
グッジョブ、わたし
この2ヶ月、色んなことがあった、、気がする
あったかな?あったよな
まだ、生活は安定していないけど、どちらに舵を切るか、選択するときの基準がこれから変わるであろう出来事があった
11月、一番好きだったミュージシャンのKANさんが亡くなった
これをいうとみんなポカンとするけど、ファンにとってKANさんは、アイドルであり
かくいうわたしも、今はさすがにそこまではないが、昔はライブの後に号泣して、ここを離れたくないと一緒に行った友人を困らせ
絶対結婚する!とのたまわっていた
本当に大好きで
こんなに自分にしっくりくる音楽性、エンタメ感、歌詞の世界観、人間的ダジャレ感があるだろうかと、アルバムが発売されたり、ライブがある度に、ワクワクが止まらなかった
それは最近のアルバムも同じ、というか、ある意味その上を更新してきて
新たな感動を覚えたばかりだった
今でも、こんなミュージシャンになりたいと、心からの憧れを抱いている
そんな人がいなくなった
それは、不思議な感覚だった
別に、涙が止まらなかったり、食欲がなくなったりした訳ではない
案外、普通だったけど
わたしがKANさん大好きと知ってる友人らから、大丈夫?という心配の連絡をもらっても、しばらくはそのことについて話したくなかった
(友人よ、その節はありがとう)
どういう気持ちなのか自分でもよくわからず、とりあえずこういう時はと思い立ち
コーヒーを手に、父の三輪チャリで、夕日でも見ようと海に出かけた
むちゃくちゃきれいな夕焼けで、雲の隙間から、沢山の光のはしごが降りていた
あーきれいだなあ、と思いながら
死ぬって、この景色を、今、見れないことなんだなと思った
と同時に、同じ時代を生きれたことの感謝を、しみじみと感じた
この美しさを、もちろん一緒ではないけど、どこかの空の下で、共有してきたのだ
そこから、KANさんの曲はこの世界に生まれ
わたしは、聞くことができた
しかもわたしは、歌うことにある意味導いてもらった
だから、という訳でもないんだけど
歌わなければな、と思った
たくさんのファンの方々の中に散らばっていった、KANさんの生きるというメロディ
その一部はわたしの中にもあって、だから、歌わなければ
楽しんで
大切に
みんなと
人を大好きになるということは、時に悲しいことだけど
好きになって良かったな、と改めて嬉しくなった
「よければ一緒に」というKANさんの名曲がある
雨が降ったら、よければ一緒に雨宿り
星がキラキラの帰り道、よければ一緒に帰ろう
そのほうが楽しいよ
そう優しく、らららと歌うKANさんは最高だ
御冥福をお祈りすると共に、これからもKANイズムを折々に楽しんでいきたいと思っている次第です