2021年10月08日

熊本の水俣へ行った

本来の目的は、水俣の手前、津奈木町のつなぎ美術館であっている「MINAMATA  ユージンスミスとアイリーンスミスがみたMINAMATA」という写真展だった

ジョニーデップ主演の映画に合わせて、開催されているらしいのだが

高速で3時間かけて行ったにも関わらず、なんと休館中だった

思わぬことに笑いがw

。。。で

水俣のエコパークというところで、水俣湾をみながら、淹れたてのコーヒーをいただくという贅沢を味わうことになった、という訳だ

10月とは思えない陽射しが、とても眩しくて

内海の湾は穏やかに凪ぎ、キラキラ輝いていた

海をみながら、「MINAMATA」展に行けなくて、少しほっとしている自分がいて

なんでかなと考えていた

わたしは定期的に、水俣病の記録文学でもある石牟礼道子さんの「苦海浄土」という作品を、ライブで朗読している

だからこそ、今回誘ってもらったんだと思うんだけど

写真展の世界に入っていくのが、ちょっと気が重かったようだ

朗読ライブをするときは、作品の背景や人物の心情を想像して

毎回、ある程度の覚悟をして挑んでいる

当たり前だけどw

それを思い出した

自宅に帰ってきて、お風呂で海を思い出しながら、何だか涙が出た

「苦海浄土」に触れる過程で、出会った言葉がある

「チッソは私であった」

ご本人も水俣病を長年患っておられる、緒方正人さんという方の辿り着いた思想だ

チッソというのは、当時、水銀を湾に垂れ流していた会社の名前で

緒方さんは、保障を巡り、先頭に立って国やチッソと戦われていた方でもある

ある時、その活動から身を引かれ

個人で水俣湾に船を出し、漁を続けておられると聞いた

豊かな海

その海をつくる、山や木々

温暖な気候

その豊穣な自然にとって、チッソも自分も、人間という同じくくりの中にいる

チッソが作っていたプラスチック製品は、高度成長期の日本で重宝され

というか、わたし自身も、その恩恵に預かっている

緒方さんは、戦うことをやめられた

人間というのは、平気で水銀を海にばらまくことも出来るし、緒方さんのような境地に至ることも出来る生物である、ということに

その振り子の振れ幅に

その目の前の海のような、光の生まれる境地に

恐れ

畏怖する

わたしは?

「恋です!」というドラマをみていて

弱視の主人公の女の子のために、ちょーヤンキーの男の子が、点字ブロックの上の放置自転車を片すシーンがあった

わたしは普段チャリを乗り回してるけど、気をつけてるつもりだけど、気づかずに、点字ブロックの上に自転車を放置してなかっただろうかと考えて

胸が痛くなった

知らないということが、人を傷つけるということに、悲しくなった

ああ、でも

知っている、ということだけでも、救いになることもあるんだな、とも思う

なんか、言い方がまわりくどいけど

罪悪感をもたず、出会ったものを、知っていこう

そこから広がる世界が、やさしいといいなあと思う

自然のように