2021年09月16日

最近、妹のうちに遊びに行くと、Netflixの「金田一少年の事件簿」をエンドレスでみることになる
ちょっと前に、懐かしさのあまりめっちゃ喜んでたら、それ以来、だ
しかも、CMも主題歌も次回予告も、スキップ、スキップ
最短で、最速で
まじで続きが気になるから、一時もテレビの前から離れられない!
私をもてなしてくれてるのは十分伝わったので、幾らなんでももういいかなーと言ってみたら
次、遊びに行ったときは、「名探偵コナン」に変わっていたw

見ていて不思議に思ったことがある
「金田一少年の事件簿」の犯人は、ほとんどの場合、誤解と思い込みで相手に恨み憎しみを抱いて、結果殺人にまで至ってしまう
本当は、愛されていた
本当は、助けられていた
本当は、頼りにされていた
本当は、後悔していた
本当は、、、、
それに気づかず
最初は小さなすれ違いでも、すれ違った方向に、ひたすら舵をきってしまう
これはアニメだけど、きっと現実も同じかもしれない
自分には、どれだけの誤解と思い込みがあるんだろう
もしかしたら、ほとんどが誤解と思い込みかもしれないな、と思ったのだ
その中でも、自分を否定するフィルターを持っていると、ものすごくややこしい
相手の言葉や態度を、本当に上手に、自分を否定するものとして受け取ってしまう
否定されている、と思うのは、とても辛いことだ
「あいつが悪い、あいつが憎い」という犯人のセリフが、「助けてくれ」と聞こえて
何だか、よくわからない気持ちになる

あっちから、風が吹いてくる
どこかへ行きたいな、と思う
それは、今絶賛練習中の、「銀河鉄道の夜」ジョバンニのセリフだな
今までの人生は、割に空気を読むことを練習してきたように思う
相手の立場に立って
気持ちを想像して
理解できること
気を遣えること
見抜けること
そんな風にたち振る舞える人に、憧れてもいた
それが出来る人は、すごいと思う
だけど、自分には難しかった
今は、なるべくフラットに、そのままに、言葉を受け取る練習をしている
余計な詮索も、想像もしない、というのは、それはそれでものすごく難しい
相手にコンプレックスがあったり、大事な人だったりすると、特にゆがむ気がしている
「こんにちは」という挨拶だけで
あれ、今日はご機嫌いまいちかな、なんか悪いことしたかな、と考える自分がいて、びっくりする
空気を読む=顔色を伺う
ではないのに、どっから間違えてたんだろうなあ

でも、本当に心から、世界をフラットに眺めることができたら
過去、受け取ることができなかった愛情や優しさや、いろんなものを
ひがむことなく、自意識で過剰に反応することもなく、受け取ることが出来る気がして
とても楽しみだ
そしたら、過去は変わる
思い出が、優しくなっていく

☆朗読ライブに出演します
クシマ音楽社 presents
朗読劇
宮沢賢治「銀河鉄道の夜」
語り 萬田陽子、奥野明美
音楽 上田たけし
10月2日(土)
趣味処 はちどり
長崎県雲仙市愛野町甲3808-3
0957-51-7722
チケット ¥2000-(1ドリンク付)
開場 18:00  開演 18:30
★アコースティックアーティスト2組によるライブ演奏あり。
問い合わせ
クシマ音楽社
westend.heroes@gmail.com