2021年08月01日
うっかりマスクを忘れると、気がひける夏
の街中のアジサイ
わたしの職場は比較的栄えたところにあって、栄えたところというのは、夏、独特な熱気に包まれる
それは、エアコンの室外機から出てくる熱風に包まれる感じ、が一番近いかもしれない
何となく息がしにくくて、逃げ場がなくて
九州だから湿度もあるんだけど
まとわりつく熱気は、洗っても取れない手についた油みたいな
それでも今年は、ちょっと過ごしやすい気もしている
風が吹くから
ある日、いつものように筥崎宮さんにお参りして
太鼓が鳴って、振り返ると、日輪と虹が出ていた
汗で目がしびれるくらい、暑い日だった
写真には入りきれない、大きな大きな空
人のざわめきも、蝉の激しい鳴き声も、どこか遠く
鳩は気配を消して
鳥居を出ると、同じように見えてるけど、虹の密度が下がった気がした
この線の向こうは、やっぱり聖域なんだ
わたしの表現するものには、切実さがない、と感想をいただいた
というか、わたし自身に切実さがないんだな
いろいろお話していく中で
そうなんだろうな、と思う自分がいる
相変わらず
わたしはわたしを、そう評価してるんだなあ
その言葉がまっすぐに入ってくるということは、一番気にしてるのだ
他ならぬ自分自身が
ずっと
でも、今までの自分だったら、すごく傷ついて、やっぱり自分は表現する資格がないんだ、とか、人間的深みが足りないんだ、とか、思っていたはずだが
思ってはいるけど、傷ついてはいない
ああ、それが今の自分なんだな、と思う
せっかくアドバイスくれたのにね
アドバイスしがいがないと思われるかな
夏の朝も夕暮れも
色鮮やかで、自由で
本当に、その美しさに呆然とする
こんな美しいものをみるとき、わたしは何しに生まれてきたんだろうな、と考える
きっと、暇なんだな笑
どこまでも
自分は自分でしかない
でもそれは、聖域でもある