2022年12月20日
本州にもっとも近い九州、門司港にきました
駅の歴史は古いのですが、駅舎は工事されて、キレイになっています
この日は、珍しく雪マーク
びょうびょうと、重たい海風が吹き荒れておりました
この駅にくると、叔母の話しを思い出して、何とも言えない気持ちになります
まだ叔母が若い頃、終点の改札口で、じいちゃんとばあちゃんが(叔母の父と母)叔母を見送り、ずっとずっと手を振っていた
じいちゃんとばあちゃんは五島の人なんだけど、所用があって本土に来ていた間に、実家が全焼して帰れなくなってしまって
門司港の長男のところに、身を寄せていた
叔母が、また来るね、と帰っていく姿を
どんな気持ちで見送っていたんだろうか
感情って、温度があるのかな
何にもなくなってしまったじいちゃん、ばあちゃん
悲しみが、ぽっと灯るロウソクの明かりのようだといいなと思う
ひんやりと冷たいものじゃなかったらいいな、といつも思うのだ
先日叔母に会った時、じいちゃんとばあちゃんが夢に出てきた話を聞いた
二人が玄関に立ってて、入ってこんね、という叔母に、ばあちゃんは炊事場へ
でも、じいちゃんは玄関から上がってこなかった
父ちゃんらしいね、と叔母は言っていた
ばあちゃんはひとしきり話したあと、「子供が待っとるけん」と言って、2人で帰っていったという
叔母は母の姉なんだけど、7人兄妹
うち二人が亡くなっている
それから、繁代おばの話になった
母のすぐ上の姉で、亡くなった時はまだ20代だった
一番頭が良くて、一番頑張り屋さんで
看護師をしていたんだけど、医師免許をとって、五島の実家の近くに病院を建てて、将来父ちゃんと母ちゃんをみるけん、それまで姉ちゃん宜しくねと、叔母に言っていたそうだ
お金もけっこう貯まって、五島の地元の郵便局長の息子と結婚も決まって
その矢先に、脊髄脳膜炎であっけなく逝ってしまった
最後、高熱にうなされながら、看病していたばあちゃんの膝の上に頭をもたげて、ばあちゃんに抱っこされていた姿を見て、叔母はたまらなかったらしい
7人兄妹やったからね、、
ほんとは甘えたかったんやろね
意識も朦朧として、動くこともままならなかった繁代おばの行動に、叔母は、そう思った
門司港の先の突端、関門海峡を見上げる場所に、和布刈(めかり)神社はある
濃い雪雲の中、お参りした
寒さにひーひーいいながら鳥居をくぐって
眩しいなと思い振り返ったら、いつの間にか空が開けていた
雲間から射す光の柱は、震えるような波をたて続ける海に、光溜まりをつくっていた
わたしは、看護師でもなく、医師免許もなく、そんな繁代おばみたいな努力したことない
病院建てて父と母をみるからね、という強い志しもない
でも、わたしは生きていて
繁代おばの欲しくて欲しくてたまらなかっただろう続きを、生きている
なんていうギフトだろうと思う
言葉にならないほどの贈り物を、わたしは今抱いている
ぽっと
灯りがともった
この灯りは、悲しみだろうか、喜びだろうか
気づけば胸のうちに
ぽっ、ぽっと
たくさんの灯りが、温かくともっている
悲しみも、喜びも、同じなんだなと思う
感情が雪のように降り積もるなら
重さで、しんどくてたまらなくなるから
ぽっと灯る明かりのようだといい
ロウソクがきれたら、忘れてもいいのだ
微かににおいだけ残して