2020年08月09日

向かいのビルに、おいちゃんが立っている

命綱的なものはついていない
実家に一個はあるようなごく普通のメジャーを持って、しきりに何かをはかっている
すごいおいちゃんだ
下半身が縮み上がる
20代前半から、シンガーソングライターを目指し、曲を作り始めた
溢れるように出てきた曲たちは、なぜか社会的なテーマを持っているものが多く、例えばラブソングみたいなものは、無理やりつくらないと生まれてこなかった
ストーカーがあらわれる赤い月の夜のうた、とか、過食で唇が裂けそうだ、とか、いじめで血が出るまで腕をつねる、とか
言葉だけだとなんかえぐいなあ笑
それを、調和的なメロディと、クセの無い爽やかな声で歌うのが、私のオリジナリティだった気がする
テーマは一言で尽くせないものを扱いながら、見合う人間的な深み、というか、器の大きさは到底自分の中には見つからなかった
私は、自分からなんでこんな歌が出てくるのかわからず、表現者に相応しい苦労をしなければならないと強く思っていた
今考えればその時、自分自身でわざわざ「苦労設定」したことになる
20数年、そんな風にミュージシャンをやってきて、まあぼちぼち苦労はしたものの、辿り着いた自分は、深みというより、行き当たりばったりのうっかりはちべぇみたいなもんだった
(うっかりはちべぇさんが、行き当たりばったりかどうかは知らない)
何だか雑な話だけど、自分は自分でしかないんだ、ということに戻ってきた感じがしている
去年、ミュージシャンとして使っていたアーティスト名をやめ、この自分で生きていこうと決めた
もういいかな、と思ったのだ
例えば、自分軸がぶれまくるのは、心が揺れるから
揺るぎ無い自分をつくらなければ、と思っていたけど、心が揺れること自体は悪いことじゃない
心の揺れから、共感とか感動とかが生まれてくるからだ
私が表現したい、伝えたいと思うのは、この揺れの一部なんだと思う
そういう風に、ひとつひとつ、自分の受け入れがたい性質を許していって
その先に
欲しくて欲しくてたまらなかった、自分をまるごとそのままでいいよと認めてもらったような安心感を、得られるといいなと
ちょっと期待している
それを他人に押し付けてきた、その押し付けがましさが、手放せるといいなとも思う
自分をまるごとそのままでいいよ、と認めるのは、結局自分にしか出来ない
それは、外側にはなく、内側にしかない
あー
自分ってめんどくさいなあ

でも
空はどこまでも深く
誰も知らない夏がよみがえる
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