2020年08月02日

夕日

私は、自分を好きになる
そう決めてから、そのための方法を模索してきた
というのも、自分を嫌いなことがそんなに悪いとは思ってなかったし、そのために何をしたらいいのかわからなかったし
そもそも自分がどんな状態なのか、把握していなかった
人と比べることで、自分の位置を決めていた
だから、基本いつも反省していた
だから、私はいつも拗ねていたと思う
人をたてるのが自然に出来る友人がいる
私と同じように、人と自分を比べて、人を優先しているところが有るようにみえた
でも、何かが違う
昨日思い至った
それは、リスペクトだ
彼女のパーソナルスペースは、敬意なんだ
そう気づいた時に、昔だったら、どうせ私はそれが出来ない人間だ、と彼女をうらやましく思い、拗ね感出してたと思う
「どうせ」自分は人として未熟
「どうせ」そんな自分は愛されない
「どうせ」自分は一人ぼっち
この「どうせ」は割りと厄介だった
そんな私のパーソナルスペースは、保身だった
傷つきたくなかったから、人と距離をとっていた
そのことを腑におとして、私は今、少し楽になっている
私の前には、定期的に現れるあるタイプの人がいる
しっかり自分を持っていて、哲学があり、正直に自分を生きている
私が持っていないものを、持っている人
そんな人に、持論をぶつけられるのだ
私はいつも、自分のことをうまく話せない
その人の話を咀嚼できない
責められてる気がして、びくびくする
最近また、まっすぐに自分と向き合っているアーティストさんに出会った
正直苦手だと思い、案の定その方から溢れる真の強い言葉の勢いに、私はものすごく揺れた
この人に披露できるような自分はいない
せめてついていけるように、頑張って意味を探ろうと思ったけど、よくわからない
「わかる?」と言われる度苦笑いして、そのうち心臓がギュっとなった
なぜ責められてるように感じるんだろう
まだ自分を責めてる私がいるんだな
そう思ったとき、そのアーティストさんももしかしたら、自分にむけて「わかる?わかる?」と確認してるんじゃないかと思った
きっと、ゆるぎなく進んでいるように見える人も、揺らぐ自分を都度確認しながら前を向いているのだ
私は、相手の言葉に答えられる自分でなくても、別にいいのだ
相手は答えを求めている訳ではない
相手も、自分で自分を確認しているだけなんだ
だったら、私は自分がありたい自分であれるようにいればいい
リラックスして
深呼吸して
相手を心からリスペクトして
そして、自分の世界へ帰る
自分が今まで何をやってきて、何を考えて、何を大切にしていて、何を表現したくて、何に迷い、何に感動するのか
言葉で説明できないなら、とくにしなくてもいい
伝えたいときは、伝えればいいだけ
全部、私が撮る写真、うたう歌、書くもの、普段人と話す会話、顔の表情、そういうあらゆるものに、表れているから
逆にいうと、見せたくないものも隠しきれない
だったら、素直に自分でいることの方に、トライしていけばいい
そこまで考えて
あー、これが自分を好きになるということか、と思った
なんか本当に
自分を好きでいるって、何気ないことなんだなあ
複雑にしていたのは、紛れもなく自分自身だったということに、少し辟易しながら
それでも
自分を好きになってきた自分が見る夕日は、すごくキレイだった
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