2019年08月05日
鳴(めい)という名前で、ミュージシャンやってます
10月のライブのチラシデザインがあがりました
かわいいなあ
hiromiさん、デザインありがとう!
妹、アレンジありがとう!
鼻歌が好き
音程とか、地声裏声とか、チェンジが微妙とか、心込めなきゃとか、なんにも考えずに歌えるから
今回のライブは、鼻歌の嬉し楽しを伝えたいなあ、ということで、「hanauta live」と題してお届けしたい
とはいえ、私の曲の真ん中に持ってきたいのはルンルンした感じより哀愁
こないだ友人と話してて、そんなことを思った
友人は、表現には哀愁がないと好きになれない!と熱く語っていて
確かになあ、と思うのだ
胸がぎゅっとなるような切なさや懐かしさ
思い出せないことを思い出すような
どこか「悲しい」
だから「幸せ」
しみじみと
先日、NHKでやっていた「この世界の片隅で」をみた
もともとマンガの大ファンで、主人公すずさんの声をしているのんちゃんも大好きで
ただ、結局映画館へは行かなかった
私は昔から、自分が大好きだと思うであろうものを、避けるクセみたいなんがある
とっておくのだ
なんでだろうなあ、と最近思う
やりたいことをやる
大好きなことを大好きだと言う
これって、とても簡単なことなのにね
映画は、哀愁に満ちていた
すずさんの世界は普通で、本当に普通で
でも、普通であればあるほど輝いていく
初恋の人と再開するシーンがあるんだけど、彼はすずさんに、すずは普通だな、すずだけは普通でいてくれ、という
普通ではない時代に、普通でいること
それは、時代に汚されない、犯されない、踏みにじられることのない、人間の真ん中
自分でいること
全ての感情を受け入れること
軽やかに、しぶとく、繊細に、鈍感に生きること
人々はみな、粛々と普通でいた
なんて
なんて広い世界だ
爆弾にも、吹っ飛ばされない
食べるものが無くとも、枯れることはない
人目をはばかることや、倫理に背くことがあっても
そのままの命だけ抱えて
生きる
何も、私とかけ離れた人たちではないのだ
辛く苦しい、死と隣り合わせの、残酷で人間性の欠片もない戦争
それも、歴史の一面で
それは二度とやってはいけないことだけど
それよりもなによりも
そこに生きる人たちが、ただ生きたその様が
私の胸に、季節のように、時間となり巡り積もってゆく
すずさんのなくなった右手が、今も描くことを求めて
そしたら空は、絵になった
私は誰かを探している
そして、誰かが私を探している
どこにいるの?