2019年05月20日
門司港の裏通りの景色を思い出す
私は門司港で生まれ、3歳まで住んでいた
ほとんどが、セピア色の(若干カラーの)、写真の中の記憶だけど
何となくこんな感じのとこだったような気がして、少し胸が懐かしいと言っている
3歳で、長崎に引っ越した
ジジババ、おじおば、いとこ、いつもおやつをくれた近所の人達
誰もいない所
母は、弟を出産したばかりだった
父は船乗りだったため、一度海に出ると、半年以上は帰って来ない
母は知らない土地で、田舎の村意識が強いなか、肩身の狭い思いを随分した、と後で知った
母によく言われたこと
謙虚でありなさい
強くありなさい
自分をいつも振り返りなさい
一度決めたことは、最後までやり遂げなさい
ものは大事にしなさい
お金は大事にしなさい
そんな風な
私はずっと、なんでお母さんは、何かあった時、私を庇ってくれないんだろうと思っていた
あんたが悪い
母は、長女の私を、余り甘やかさなかった
母は、もしかしたら、私に、というより、自分に言い聞かせていたのかもしれない
謙虚であれ
強くあれ
自分をいつも振り返れ
ものを大事に
お金を大事に
自分を、甘やかさない
何となく、これはおばあちゃんじゃないか、と思った
母は、自分の母親のように、なりたかったのではないか
そんな母親でありたい、と思っていたのではないか
そう思うと、切なくなる
私より全然若い母が、引っ込み思案で、あまりはっきりものが言えなかった優しい母が、私達を育てるため、必死に強くあろうとしていたのではないか
そうやって、私達を守ってくれたのではないか
父は、寒くて遠い海の上で
母は、安心出来る全てから離れた新しい地で
二人とも、孤独や葛藤と付き合いながら
良いことも悪いことも流していきながら
私達、四人を育ててくれた
なぜ私は、父母が守ってくれたこの命を、たいしたことないと言う?
なぜ私は、自分を責める?
自分は愛されないと思う?
なぜ自分を大切にしない?
大切にしてもらったのに
なぜ父母が悲しむようなことを、感じている?
私なんて、と
自分を貶めることは、母を、父を、貶めることになる
強くはなかったはずなのに、負けなかった母の誇りを、貶めることになる
「生きてるだけでいい」
それって、そういうことなんだな
誰に好かれようが、誰に嫌われようが、私の価値は、父と母の、その父と母の、そうやって積み重なってきた命の価値だから
そしてそれを、父と母に、私は、伝えることが出来るのだ
なんか
生まれてきて良かったな