2019年05月05日

迫力の石南花
水滴をつけて、キラキラ輝いている
頭が重たいにも関わらず、ちゃんと持ち上げてるからすごい
命のかたまり
命が開き始める
自分の立ち位置を考える
私は足を使って、お金を使って、人間の魔法を使って、バスに乗り、汽車に乗り、飛行機に乗り、どこにでも行けるけど
私自身は、ちゃんと自分のタイミングと裁量を理解し、自分の立ち位置で、花を咲かせているのだろうか
自分を理解して、自分を理解していることも忘れて、感じるままに、咲かせてあげているのだろうか
スペースの心配をしたり
土の固さを嘆いたり
他の花が咲くのをみて焦ったり
自分が咲けることを知ろうとせず
大地とつながってることも忘れて
風が変わっていることも気づかず
突っ立ったまま
大きな大きなつぼみは、その重さに耐えられなくなるかもしれない
本当は
ただそこにいれば咲けるのに
何を見ているのだろう
何を見ようとしているのか
自分の中にしか、それは無い
咲きどころは、自分にしかわからないし、自分にはわかっている