2019年03月12日
きれいだな
見るたびに思うけど、蝶々が、今にも飛び立とうとしているような
そんな花だ
今日は、雨粒を蜜のように蓄えて
タイミングを、はかっている
花が落ちたら、ああ、飛びたっていったんだな、と思う
木蓮の真っ白な花びらが、羽のように空をヒラヒラ
それは、どんなに美しいだろう
今まで、色んなグループに、所属したり、離れたり、誘われたりしてきた
みんな、当たり前に何かしらの何かしらに属している
学校では、友人同士幾つかの集団ごとに大体行動するし、仕事をしていれば、それ自体が一つのコミュニティだし
地域の団体や、信じてる宗教や、ママ友だったり
家族だって、群れだ
私は、比較的、集団に馴染むことができる人だと自分を位置付けしてきた
バランスをとり、抑制のきいた適度な人付き合い
好きなことをそこそこして、自由に生きている
そう思う反面、ほんとにそうだろうか、と自分を疑ってきた
勘違い甚だしいことをしてないだろうか
人の気持ちが全くわかってなくて、口先だけの八方美人と思われてないだろうか
好きなことも、中途半端にみてくれだけに囚われているのではないか
人間は、ほっとくと、どんどん色んな考えが頭に浮かび放題で
じゃんじゃんバリバリ、自分を責めるだけ責めることが出来る
ほとんど自家培養の、被害妄想だったりするんだけど、何が真実かは自分が選んでる訳だから
行き場のない悲劇が目の前に出現して、それをありありと感じることが普通に出来る
ほとほと困った存在でもある、自分
最近思う
私は子供の頃、目立つのが好きで、自分が一番で、それが当たり前だった
だから、自分の世界に他人が現れて、自分以上にかわいい人やお金持ちや、走るのが早い人や、愛される人がいる、という事実にとてもショックを受け、強烈な恥ずかしさと、自己否定が生まれた時
自分にむいていた、明るい全肯定のエネルギーが、ベクトルを180度かえた
多かれ少なかれ、みんな経験することなのかな、と思うんだけど
私は多分、二度と傷つきたくなかった
もともとそんなに器用ではないのに、器用に生きていくために、自分を抑えこんだ
群れは、私にとって、どこか生きにくい
一見の感じの良さや、マイルドな物腰は
結局破綻する
ばれる
だから、生きにくい
そもそも私以外の常識は、私には常識ではなく
比較、損得、善悪
そんな基準で、自分を守るのには、限界があったのに
自分の抑えこまれたエネルギーは、いくあてもなく
どこに行ったのだろう、自分の中で
きっと、頑張って生きてきたんだな
一人だと、私は破綻しない
でも、一人だと、寂しい
生きる力は、時に私以外のものがくれるということも、私は知っているから
コーヒーも、二杯が限界だ
ずっと座ってると、お尻も痛くなる
そろそろ動きだそう
それぐらいの軽い感じでいい
どこに行くかは、大体決まってる
自分はもう、わかっているのだろう
おなかもいっぱいだ
天気もまあまあだ