2018年12月22日
早咲きのさくらが美しい
ピンクの花びらが、奇跡の薄さで、日を透かしている
ただただ、咲く
私はみている
次のライブは、戦争をテーマにしようと考えていたわけではない
アメブロで、マダムスノウさんという方の「母の証言」という一編の詩に、出会った
それは、マダムスノウさんのお母様の実際の戦争体験を作品にされたもの
私は無性に、やりたい、読みたい、と思った
というか、読んでいた
そして、イメージの中で、読んでいる自分がステージにいた
なぜだろう
私は何を表現したいのか
作品は、結構グロテスクな部分もあるけど、とても美しかった
それは、マダムスノウさんのお言葉を借りるなら、お母様の心が長い時間をかけて結晶化し、祈りとなり、揮発して天へ昇華しているから
そう感じた
戦争
私は何を伝えることができるだろうか
戦車で子供を曳き殺し、肉片になるまで引きずったアメリカ兵は、私だったかもしれない
不時着して日本兵につかまり、真冬に全裸で見せ物にされたあげくなぶり殺されたアメリカの女性兵士は、私だったかもしれない
満州でソ連兵に追い詰められ、我が子にナイフを突き刺し道連れにして死んでいった母親は、私だったかもしれない
日本人の戦争孤児を引き取り、命懸けで守った中国人の名もなき農民は、私だったかもしれない
戦争に対する抱えきれない思いを、それでも手放すことができず、木が根を張るように、少しずつ祈りをつなげ、美しい結晶にかえていったのは、私だったかもしれない
おぞましさも
恐怖も
悲しみも
怒りも
憎しみも
痛みも
吐き気も
絶望も
光も
祈りも
愛も
命も
勇気も
憐れみも
労りも
希望も
私達にはある
人間の凄まじいその存在の振り幅
あなたは何を選ぶ?
私は何を選ぶ?
そこに、非戦でも反戦でもない、何気ない今日をつくるための道の一つがあるような気がして
よくわからないけど、漠然と
今の私は、それを伝えたいと思うのだ