工事現場が好きだ
なぜ好きなんだろう
違う世界の入口みたいだからか
未来なのか過去なのかわらない夕暮れ
久しぶりに泣いた
いや、けっこう泣き虫なので語弊がある
久しぶりに、夜、泣いた
翌朝鏡をみて、どざえもんかと思ってびっくりした(見たこと無いけど)
二重が1㎝くらいあった
人って、こんな顔になるんだなあ
この1日で、絶望と希望を味わった
ちょっと大袈裟か
でも、大体詩書きは大袈裟だからまあいいか
考えてみれば私は、素直で意志が強くて大袈裟な子供だった
欲しいものは全部、手に入らないとイヤだった
子供らしいと言えば子供らしい、ちょっといらっとするワガママさだ
いつからか、基本穏やかですね、と言われる大人になった
八方美人
争いごとは無理
来るもの拒まず、去るもの追わず
日本語は、ほんとにかゆい所に手が届く表現が多い
ワガママだった自分は、いつのまにか大人になったと思っていた
でも、そうではないのだ、きっと
あれも欲しい、これも欲しい
あれがしたい、これがしたい
みんなこっちをみて
好き
嫌い
大好き
大嫌い
誰かを困らせたくないから、嫌われたくないから、傷つきたくないから、ふわっとグレーな空気をまとい、その場しのぎのプロフェッショナルを目指した
その場をしのいでいたら、自分が本当は何を感じているのか、何をしたいのか、わからなくなった
でも、したいことを手離すことも出来なかった
だから、好きなことをしてるはずの時も、何となくギクシャクしてるんだろうな
本当の自分?
本当の自分って?
本当に自分が感じてることって?
じゃあ、今まで生きてきてくれた、このギクシャクしてる自分は一体誰?
毎日毎日、空をみては綺麗だなあと感じる自分は本当の自分ではない?
あの人の幸せを願うこの自分は、嘘の自分?
その場しのぎの自分は、愛されない?
人を、自分を受け入れてない?
手放さなければならない?
それとも、大事にしなければならない?
わからない
これは本当の気持ち?
それとも執着?
こんなことを、ぐるぐるぐるぐる考えて、結果私は、次の朝、どざえもんになっていた
そのあと、また空をみながら、窓が額縁みたいだな、と思った
切り取られた空は、自分だけの空で、いつ開けたのか、窓から風が吹いて、カーテンが呼吸してるみたいに、膨らんでは萎んでいた
罪悪感だ
そう感じた
私は罪悪感をまだ
そのあと、救われるようなメッセージを戴いた
少し元気になったので本屋に行ったら、たまたま手にとった本の題名が「はじまりの日」だった
中をあけると、「長いトンネルから抜け出せましたか」
ページをめくると、見開きで光に溢れる優しい写真
そして、「ここからは、どちらにでも行ける」、と書かれてあった
目の前の出来事に、特別な意味は無い
それならば、感謝しよう、と思った
ありがとう
家に帰ったら究極に眠くて、パスタを食べた矢先に、ばったんと寝てしまった
起きたら、胃は重かったけど、すごくスッキリしていた
そんな幸せなお話し