2018年09月15日

工事現場が好きだ

なぜ好きなんだろう

違う世界の入口みたいだからか

未来なのか過去なのかわらない夕暮れ

久しぶりに泣いた

いや、けっこう泣き虫なので語弊がある

久しぶりに、夜、泣いた

翌朝鏡をみて、どざえもんかと思ってびっくりした(見たこと無いけど)

二重が1㎝くらいあった

人って、こんな顔になるんだなあ

この1日で、絶望と希望を味わった

ちょっと大袈裟か
でも、大体詩書きは大袈裟だからまあいいか

考えてみれば私は、素直で意志が強くて大袈裟な子供だった

欲しいものは全部、手に入らないとイヤだった

子供らしいと言えば子供らしい、ちょっといらっとするワガママさだ

いつからか、基本穏やかですね、と言われる大人になった

八方美人
争いごとは無理
来るもの拒まず、去るもの追わず

日本語は、ほんとにかゆい所に手が届く表現が多い

ワガママだった自分は、いつのまにか大人になったと思っていた

でも、そうではないのだ、きっと

あれも欲しい、これも欲しい

あれがしたい、これがしたい

みんなこっちをみて

好き

嫌い

大好き

大嫌い

誰かを困らせたくないから、嫌われたくないから、傷つきたくないから、ふわっとグレーな空気をまとい、その場しのぎのプロフェッショナルを目指した

その場をしのいでいたら、自分が本当は何を感じているのか、何をしたいのか、わからなくなった

でも、したいことを手離すことも出来なかった

だから、好きなことをしてるはずの時も、何となくギクシャクしてるんだろうな

本当の自分?
本当の自分って?
本当に自分が感じてることって?

じゃあ、今まで生きてきてくれた、このギクシャクしてる自分は一体誰?

毎日毎日、空をみては綺麗だなあと感じる自分は本当の自分ではない?

あの人の幸せを願うこの自分は、嘘の自分?

その場しのぎの自分は、愛されない?

人を、自分を受け入れてない?

手放さなければならない?

それとも、大事にしなければならない?

わからない

これは本当の気持ち?
それとも執着?

こんなことを、ぐるぐるぐるぐる考えて、結果私は、次の朝、どざえもんになっていた

そのあと、また空をみながら、窓が額縁みたいだな、と思った

切り取られた空は、自分だけの空で、いつ開けたのか、窓から風が吹いて、カーテンが呼吸してるみたいに、膨らんでは萎んでいた

罪悪感だ

そう感じた

私は罪悪感をまだ

そのあと、救われるようなメッセージを戴いた

少し元気になったので本屋に行ったら、たまたま手にとった本の題名が「はじまりの日」だった

中をあけると、「長いトンネルから抜け出せましたか」

ページをめくると、見開きで光に溢れる優しい写真

そして、「ここからは、どちらにでも行ける」、と書かれてあった

目の前の出来事に、特別な意味は無い

それならば、感謝しよう、と思った

ありがとう

家に帰ったら究極に眠くて、パスタを食べた矢先に、ばったんと寝てしまった

起きたら、胃は重かったけど、すごくスッキリしていた

そんな幸せなお話し