2018年08月09日

日のあたり具合で、全く顔がかわる

なぜこんな形をしているの

なぜこんな色をしているの

あんまりきれいで、近くで凝視していたら、目が寄り目になりそう、というかなってたと思う

眉間にはしわ
口はあいて
鼻は膨らみ

きれいな花を見るほど、ブスになる私

まあいいけど(笑)

罪悪感について考えていた

昨日の「高嶺の花」というドラマで、主人公が、「罪悪感なのね」というセリフを吐く

華道家として目覚めるために、罪悪感を自分に課す、というのだ

罪悪感って、なんだろう

例えば私は、小学生のころ、知らない男の人にズボンのチャックを下ろされた事がある

その真っ白な指先を、鮮明に覚えている

今なら、あのおじさんちょーむかつくーきもっっなんつって笑って話せるけど、ずっと、意味がわからなくて、自分が何か悪いことをしたからだ、と思っていた

罪悪感を持っていたのだ

今日は、8月9日、長崎県民にとっては特別な日だ

県下の小中学校は登校日で、原爆がいかに悲惨か、という勉強をする

何となく当たり前の行事みたいになっていて、正直あまり記憶に残ってない

もうほんとにすいません、としか言い様がないんだけど、それでも8月は、私にとって、光の強さよりも影の濃さが際立つ季節だ

自分の範疇を越えた出来事に遭遇した時、人間は、罪悪感をもつことがある

なぜこんなことが起こったのか

なぜ自分は生き残ったのか

なぜ自分は死んでないのか

自分を責める声が聞こえてくる

そんなもの、必要ない!捨てちゃえ!と思うけど、でも

そこから、他人への本当のいたわりや、自分のなすべきことや、自分を越えた所から俯瞰した視点などが、生まれる気もする

きっと、私の知らない所からみえる、私の知らない世界だ

それは、光だ

光の本当の色だ

きっと、本当の光が生まれるのだ