2018年06月08日

気持ちのいい街路樹の下を歩く

なんで真ん中が、あんな形にあいてるのかなあ

まるで何かの通り道みたい

両側の木が、こしょこしょ相談してるようでおもしろい

そっちこうくる?じゃあ、こっちはこういくわ、みたいな

志賀島に、お礼回りに行った

私は、3日にやった「苦海浄土」朗読ライブの収益をどうするか、悩んでいて

というか、何か浮かばないか、お寺や神社にお参りしながら、海を眺めながら、スパイシーでからーい!けど美味しいカレーを食べながら、待っていた

「苦海浄土」は、水俣病の記録文学という側面があるけれど、自分は何にたいして感情が振れているのか、考えだすとわからなくなる

怒り?
悲しみ?
同情?
使命感?

あまりピンとこない

自分の領分じゃない気がして

立場が、わからないのだ

患者さんじゃなければ、患者さんの家族でもない
そこに住む人でもなく、海にでる人でもない

そう思うと、いつもわからなくなる

自分がこの作品をやりたい、ということに理由があるなら、何かやらずにおれない、というごくごく個人的な、ふわふわしたもので

弱い気もするけど、それでいい、と確信してる自分もいる

志賀島の帰り、本屋に寄った

そこに、石牟礼さんの追悼特集の本がおかれていて

その中で、若松英輔さんが、「見ること」が大事、と話されていた

石牟礼さんは、「見続けた」作家だと

見ること

見ることをやめないこと

見続けること

ライブにきてくれた友人が、感想を話してくれた

水俣病だけでなく、そういう世界のくぼみみたいなものは今もあって、もしかしたら昔より巧妙に隠されていて、それに触れている気がする、と

「 見ること」をやめない

そうしたら、何か形が立ち上がってくるだろうか

どちらにしても、長い付き合いになりそうだ