ある日の仕事帰り
ぼんやりチャリをこいでいて、マンションの陰を越えた瞬間
飛び込んできた夕暮れ
こんな風に、今日は終わるのか
生きるって、とんでもないことだなあと思って
しばらく眺めていた
こんな夕暮れだったなんて、つい数分前の自分は知らない
ぼんやり考えごとをしたままで、気づかずに家に帰っていたかもしれない
気づかずに通りすぎる、なんてことは、この夕陽以外にもたくさんあるんだろう
更にこのコントラストが、わたしの中の何かを強烈に浮き上がらせる
それは、美しいと思うことかもしれない
感謝かもしれない
生きててよかったな、ということかもしれない
何でもいいんだけど
大げさだな、と思うのは、その言葉を自分が大げさに捉えていただけで
そうあることは、この夕陽のように
自然で、大らかに当たり前のことなんだと思う
あじさいの裏側には、森が潜んでいた
わたしはこうして写真を撮って、自分の感じたことをアウトプットするけど
それが何の役にたつのか、写真展をすると決めたとき、だいぶ考えた
わたしはこれがやりたいけど、それは、人と関わるためのコミュニケーションの1つだ
見てもらうことで、嬉しい自分
それは、承認欲求かもしれない
コミュニケーションだとしたら、人の役にもたちたい
承認欲求を満たすだけのものなら、やる意味がない
風がつよく吹いていて、まるで歌ってるようだった
きれいなものをみたとき、わたしの中に、きれいが生まれる
じゃあ、わたしがきれいだなと思うものをみた人の心にも、きれいが生まれるのかな
だとしたら、コミュニケーションとしてすごくいいなと思った
それが、わたしが表現する意味なら、悪くないなと思った
うちに、壊れた振り子時計がある
たまに動き、たまに止まるから、いつも時間が狂っている
最近はめんどくさくなって、そのままにしてるから、全然違う時間をさしていてびっくりさせられるけど
それも、慣れてきた
その時計を見ていると、時間って時計なんだと思う
時計が時間を司る
時計の中に時間がある
時間を、時計が作り出している
うまくいえないけどw
振り子時計の、チクタクチクタクという時間を刻む音は、好きだ
時間を音で聞くって、素敵だなと思う
少し前の朝、チャリで仕事に行っていて、後ろからすごい勢いでカラスに頭をはたかれた
どうも、羽があたったみたいなんだけど
頭をはたかれたのもうん十年振りだし、カラスにはたかれたのは初めてだし
むちゃくちゃ驚いて、驚いたまま仕事に行った
で、仕事帰り
別の場所で、おんなじように、カラスに頭をはたかれた
朝のことはもちろんすっかり忘れていて、これぞ青天の霹靂
勢いがすごくて、くらっくらしながら帰った
1日に2度、カラスに頭をはたかれる
誰か、意味を教えてくださいw
その日、アメブロの占いで、運勢1位だったんだけどなあ
という訳で、5月も終わりましたね
そろそろ今年も後半戦か
時間は時計にお任せして
通り過ぎなかったものを愛でながら、今日も生きていたいなあ
木漏れ日が笑う