2019年05月29日

ありきたりの日常
「お風呂沸いたよ」
「ご飯出来たよ」
「もう朝だよ」
実家に帰ると、自分がどれだけ安心で温かい場所にいたかがわかる
離れていても、どれだけ守って貰っているかがわかる
学生の頃は、「ご飯出来たよ、早く手伝いなさいよ」の、手伝いなさいよ、に意識がいって、めんどくさいな、やろうと思ってたのに、口うるさいな、と思っていた
今は同じことを言われても、ご飯出来たよ、の方に、深い愛があるのがわかるから、それだけで涙が出そうになる
そうやって、受け取っていなかった気持ちが、一体どれほどあっただろうか
誰に対しても
やっと、そこに気づくことが出来た
それは、ふわふわとしていた世界がクリアになる瞬間だ
私の目の前にいる人の言葉には、色んな感情が含まれているかもしれない
その中から私は、否定的な部分をわざわざ拾い上げ、予防線をはっていた
自分を守るために
その必要はもうない
自分は守られているから
私は、大学に入るタイミングで、実家をでた
そこから今まで、実家を出たのに、一人暮らしをほぼしていない
寮にいたり、妹がいたり、いとこがいたり、おじおばのとこにいたり、弟がいたり
だからか、家電を買ったり、カーテンを買ったり、みたいな、部屋作りというか、生活の場所作りをほぼしていない
今日友人とその話をしていて、こだわりがないんだよねー、と言ってたら、守られてるね、助けたくなるのかもね、と言われた
これは晴天の霹靂
今まで、自分をそんな存在と思ったことがなかったから、そうなの?と驚いたんだけど
たったそれだけのことで、人は、晴天で霹靂するんだな、と妙に納得した
今、やって来なかったことをやって見ることにトライしている
ドキドキすることもあるけど、小さな選択でも、出来るだけ、やらないではなくやる、を選ぶように
やりたいと思ったら、必ずやるを選ぶように
うまく行くことも、あれー?と思うこともあるけど、おおむね楽しい
今日も、世界は自分に優しい、と気づくことが出来る
小学生の時、ランドセルをマジックで真っ黒にぬられたことがある
私は、用務員さんにシンナーを借りて、それを自分で消して、母にも言わなかった
その話を今日母にしたら、それは知らなかったけど、そういえば、ランドセルに刃物で傷をつけられてたね、と言われて、そんなこともあったか!と、忘れていたことにびっくりした
母と、笑った
まあ他にも色々あった
沢山傷ついただろうから、それを見ないようにして生きてきたのかもしれないし、そんな自分を長いこと癒してあげれなかったことに、ごめんね、と思う
でも私には、見ないふりをする強さがあった
生きていく強さがあったことも、事実だ
休まず通学し、毎年学級委員をし、児童会長までやり、得意な作文は表彰して貰い、友達と笑いながら、学校が好きだったと、今でも思う
そして、愛があった
守られていたのだ
母と、父と、友達と、話していて、そんなことを改めて感じた帰り、空はとてつもなく綺麗だった
いつも、今、一番の空をくれる
これが、世界だ