2019年01月09日
おでこの右側と左側にたんこぶがあって、あたると痛い
右をぶつけて、勢いで反対側に左をぶつけたのだ
キリストさんは、右の頬をぶたれたら、左も差しだしなはれと言ったとか
どういうテンションで?
少し軽めに「こっちもいっとく?」
優しく「こちらも良かったら」
いや、わりと真面目に「ではこちらもどうぞ」
オーバーに「さあ!私のこっち側もぶちなさい!!」
正解があるだろうか
でも、やっぱり痛いのは嫌だな
幸せって、何だろう
先日、去年「苦海浄土」でお世話になった荘厳禅寺に、年始のご挨拶に伺った
話の流れで、ご住職の奥様のお茶の先生のお話になった
百歳で亡くなられたそうなんだけど、ある日のお稽古で、先生の戦争体験を聞いたのが、凄く印象に残ってる、というお話だった
先生は、福岡空襲でまだ小さかった子供さんを亡くされた
目の前に、子供さんの足が降ってきたそうだ
虫の息であっただろうその子を抱えて、治療してくれる場所へ行ったものの、福岡の人が先で、久留米の自分たちは後回しになり、娘さんはそのまま死んでしまった
色んなことが納得出来なかった
娘はなぜ死んだ
奥様に、「人に話すのは初めてだ」とおっしゃったそうだ
その話をするのに、70年かかったことになる
先生は、号泣された
そして、自分は今幸せだ、今生きてる人たちは幸せじゃないのか、と問われた
幸せとは
無条件の喜び、とはまた違うのかもしれない
周囲に対する理不尽さへの怒りは、呪いにならなかったのか
それはその内、自分への呪いになったのではないか
悲しみ、忘れたふり、日々の過酷さ、誰にぶつけようもない大きくて重たいもの
その呪いを、先生はどうやって祝福にかえていったのか
その祝福は、受け取って良かったのに、ずっと受け取れなかったはずだ
だって、70年、誰にも言えなかったのだから
幸せとは、何なのだろう
私は幸せだろうか
ちゃんと、幸せであれているだろうか