2018年11月28日
最近、指先が脳ミソになるまで、お風呂につかっている
昨日も脳ミソになっていた
一年くらい前まで、ほぼほぼシャワーの人だったので、考えられない変化だ
大体めんどくさい
それが、なんということでしょう
つからないといやいやな体になってしまった
年とったのか?
指を繁々と眺めていると、本当に小さな脳ミソにみえる
指が思考してるんじゃないか、とすら思えてくる
指先が、それぞれ考えることで意思を持っていたらすごいな
たまにあらぬことを書いてしまうのはそのせいかも
ふやけて脳ミソのシワが出来るのなら、本来頭にある脳ミソも、乾燥したらしわがなくなり気味になるのかな
やばい
水分とらなきゃ
などと、とりとめないお風呂あがりを過ごした
最近といえば、よく泣く
もともと言葉より先に涙が出てくるたちではあったが、なんかそんな可愛いげのある「泣き」ではなく
ゆうべは、布団の気持ち良さに涙した
センチメンタルがすぎるな笑
そう思いながら、それもよしかな、と思わなくもない
私は、語りのライブもたまにやってるんだけど、悲しい場面で、悲しさを泣くことで表現するのは安易だから、と、語りの師匠に良く注意される
自分が演じる自分に同情して泣くのは、違う、ということだ
嬉しい涙と悲しい涙は、味まで違うと聞いた
塩気が強くて濃度の濃い涙は、塩気が強くて濃度の濃い感情の時に流れるということか
塩気が強くて濃度の濃い感情がどんな状態か、いまいちわからんけど、どちらかと言えば、さらさらした自分でいたいと思ったりする
なんの話しだ?
あ、写真は、出雲大社でみた、不思議な存在感のいちょうの木
浜からの海風に、体半分持ってかれて、異様な立ち姿だった
目をつぶると、この木の前に自分が立っている
畏怖の念を抱き、見上げている