2018年07月17日

ここを美しいと感じる

おいっ、と思っても
おえっ、と思っても
は?、と思っても
自分しっかりしろ、と思っても

外に出れば、少しにごった川も、日の光を浴びキラキラと輝いている

風が顔にあたる
飛行機が、空の高い所を飛ぶ
魚が跳ねる
ゴミが浮いている
知らない人と、すれ違う

まぶしい

花の色が、とびこんでくる

全ては、先人や両親、ここまで生きてきた生かされてきた自分がいるから、この今が目の前に在る

全ては、私の中にあって、私の中のどこかが、すごく喜んでいる
ありがとうと言っている

人のお役になかなかたてない
何も成し遂げてない
親の期待を裏切った
人の痛みに気づけない

そんな自分でも

ここは、泣く程美しい

看板に日があたって、その色とりどりが、刻々と変っていく

かぼちゃプリンの艶やかなソース
洗い物をする水の音
カチン、とコップが触れあう
ひっきりなしに行き交う車のエンジン音に混じって、どこかで風鈴が鳴っている

駅の防音壁にできるビルの影が、少しずつずれていく
街路樹が右に左に揺れ、風の行方を知らせる

全部が、今、目の前にある

シナモンの後味
冷たいものが、喉を通っていく感触
冷房が効きすぎて、足の先だけ冷えている

新しく買った、ばくの絵のボールペン
久しぶりに開いた、ノート

つらつらと、目の前のことを書く自分

例えば私の大おじは、祖父と同じ日に赤紙がきて、硫黄島へ行った
祖父は帰り、母が生まれ、私が生まれた

大おじは、帰らなかった

そしてそこに、今も眠るのだろう

天文学的な偶然と必然が、膨大な記憶となり、私の中に、全てある

だから、上手に出来なくても、理想とかけ離れていても

今、自分が自分であり、未熟な自分のまま、もうすぐ日が沈む空をつがいで飛び家に帰る鳥をみながら、ここにいることに、ありがとうを唱える

帰らなかった大おじに、感じて貰えてるだろうか

もっともっと沢山の、私の中の人達に、感じて貰えてるだろうか

この世界の片隅に

この漫画を読んで、そうだったらいいな、と思った