2024年07月12日

今年は、ひまわり畑によく遭遇する

とても元気で明るくて嬉しくなるが、なぜか後ろ向きが多い

というか、ほぼ後ろ向きだ

畑の構造上、こっちを向いてる状態でひまわりが見れないのだ

ひまわりは、皆さまご存知、太陽に向かって咲く花だが

別に人に見てもらうために作っている畑ではないことが多いのだろう、道からはバリバリに後ろ向き

まじかーと思いながらうしろ姿を眺め、しかしひまわりのうなじはやけにセクシーだな、などと興味深く感じいっている

じゃあ、なんのためにひまわりを作ってるのかというと、妹いわく種を取るためらしい

なので、満開のひまわりは1週間もすると刈り取られ、あれ畑はどこにあったかね、とわからなくなるくらい綺麗さっぱりいなくなってしまう

種は、食用だろうか

油になるのか、ツマミになるのか、または何かしらの餌になるのか

きっと知らないから謎だが、知らないだけで知ったら思うより普通のことなんだろうな

そうやってひまわりの行方を想像し、それもまた楽しい

梅雨の合間の、本気度高い夏の存在感に、もうノックアウトされそうだ

いつからだろう、夏は暑いの概念を超えて、熱いも超えて、蒸発してしまいそうなエネルギーの塊になった

地球は太陽に近づいてるのではないか、そんな気がしてならない

チャリに乗っていると、皮膚に、ジュッと肉の焼けるような感触を感じる

暑いわーだるいわーという生半可な日差しではない

危険だ

夏は、ちょー危険だ

わたしは夏生まれなので、今でも夏は大好きなんだけど

草むらに入って虫取りしようとか、川や海に水遊びに行こう、とはまったくならない

大人になっちゃったのもあるが、あまりの夏の威圧感に萎縮している

仕事もできたらしたくない

、、それは怠けたいだけか 笑

どこまでも暴走する外気温

それに平行して充満する、エアコンの室外機からでる熱気

オフィス街などでは、外に出ると、冗談抜きで息ができない

息を吸うと、体の中が蒸されてるような気分になる

、、、ああ

夏は消えてしまった

夏だけじゃない

春も秋も冬も、消えてしまった

そう言いながらも

わたしは汗だくになるのも構わず、チャリに乗っている

セミの鳴き声に体が反応し

入道雲をみれば、いつか乗りたいなあと思っている

アイスは美味しいし

おばけがでたでないに盛り上がり

とっくの昔に卒業したのに、まるで小学生の夏休みのように夏を過ごす

なんだかんだ、やっぱり夏が好きなのだろうか

三つ子の魂百まで、とはよく言ったものだが

一体自分の中身は、何歳くらいで止まってるんだろう

いや、違うか

大人になったぶん、満喫するための自由度は増しているのだ

あの頃やりたかったことを、堂々とやれる

あの頃より、たくさんアイス食べれる、たくさん食べても怒られないとかね 笑

大人って、素敵

そりゃ素敵になるはずなのだ

出来なかったことが出来るようになるから

知恵や経験というのは、そのためにあるのだ

そんなことをつらつらと考えていたら、わたしは子供の頃、早く大人になりたいとは思わなかったし、今、子供の頃に戻りたいとも思ってないなということに気づいた

それって、自分が考えるよりもっと、「今がいい」と思っているということだ

意外だ

わたしは、今が好きなんだ

中途半端で、何者でもないけど、今が好きなんだ

っていうか、ずっと今が一番好きだったのだ

今が良ければいいなんて情けない、と叱られていたし、確かにそうだなと自分でも思っていた

だから、自分にプレッシャーをかけてきた部分があるかもしれない

計画性をもちなさい

貯金しなさい

将来のことをもう少し考えなさい

そうできるのは、素晴らしいことだけど

出来なかったら?

しょうがないやん、とは思えても、出来ない自分でいいとは思えなかった

でも、わたしは「今」が好き

ここまで生きてきた自分に、感謝し

生かしてくれた周りに、感謝している

それが、今だ

そうだ

それが、いつもここにあった今だ

書いていて、思わぬ展開になったな

このブログを書き始めたときは、まさか、今が好きだという落ちに辿り着くとは考えていなかった

今日は雨で、まだ梅雨は明けそうになく

わたしは職を探していて、ちょっと不安だ

でも、好みのバナナパウンドケーキを買って帰ろうと思って、うふうふしてる

図書館で読みたかった本を借りて、ウズウズしている

それに、会いたかった人に会えることになったんで、奇跡は案外普通に起きるな、などと思っている

あーやばい、やばい

自分がポジティブなのかネガティブなのかわからないけど、どちらでもいい、のほほんと感動しながらこれからも生きていきたい

そしてできることなら、その感動を、誰かと共有、いや違うか、共鳴したい

わたしは20数年前、シンガーソングライターになると決めたとき、自分の芸名を「鳴」(めい)とつけた

それは共鳴の鳴だった

この20数年、やってることもやりたいこともなんら変わってない

表現の手段は変わってきたが、やりたいことは変わっていないのだ

これは驚きだ

悩んで、迷惑かけて、立ち止まって、後悔して

わたしはずっと自信がなかった

でも、それでいいのだ

自信なんかないままでいいのだ

結局、何を言いたいのかわからなくなった

まあいいか

空はいつだって青いのさ