ある日、出勤日を間違えた
仕事じゃない日に出勤してしまったのだけど
朝は6時に家を出て、通勤時間は1時間半とちょっと
しかも、交通費は往復1720円(実費)
なかなかになかなかな心境です(^_^;)
せっかくなので市内観光でもするかと、スタッフルームでお昼用に持ってきたお弁当を食べつつ、1日の計画をたてることにした
ともかく、逆じゃなくて良かったしね
家で、今日出勤ですよね?と会社から連絡貰うとか、想像しただけで心臓が飛び出そうだ
基本、そんなにうっかりさんではないが(多分)
でも、一年に一度くらいは、「頭真っ白」という現象が起こる
目覚まし鳴らずに遅刻とか
行く予定の場所を勘違いして、違うとこに行ったりとか
今回は平和なうっかりだったので、めちゃくちゃセーフだ、むしろラッキーだ
そんな考えに至った途端、ワクワクしてきた
何しろ、予想外の1日が手に入ったのだ(切り替えは早い)
ひとまず、近くの諏訪神社にお参りすることにした
お諏訪さんはこの辺り一体の氏神さまなのだが、今のところあんまり行けていない
仕事終わりだと帰りのJRの時間が気になるし(電車は1時間に1本あるかないか)、休みの日にわざわざ来る元気もない
高台に立つので階段がエグいんだけど、ここは頑張っておこう
そう思って坂道を上がっていき、敷地に入った途端、雅な生音楽が聴こえてきた
巫女さんが舞い、神主さんが中華鍋みたいなのの中で火を炊いている
どうも水が入っている
四方を榊の枝で清め、神主さんがカツを入れて火を消した
中華鍋の中のお湯を榊で救い、また四方を清める
すごい勢いだ
お湯が飛んで、お散歩中の保育園児が熱い熱いと、きゃっきゃ騒いでいた
後できいたら、湯立て神事というらしい
毎月15日10時から執り行なわれるみたいで、そういえば今日は15日だ
あー、お諏訪さんが呼んでくれたんだなあと腑に落ちた
意識してなかったけど、スッキリすっかり祓われた気がしたのだ
知らぬ間に溜まったものがあって
わたしは、少しだけ重かったみたいだ
思い返せば心当たりもある
こうしてここで御神事を見学して、とっても体が軽くなっていた
あら、いつも聞いているユーチューバーの話が、明らかにポジティブに受け取れているぞ
そう実感しながら、定期的なメンテは必要だなと改めて思った
神さま、ありがとう
ほんと、助かります
川を渡り、亀山社中へ
くねくねと、お墓の間の細い階段をひたすら上る
諏訪神社と反対側から、長崎市内を眺められる位置まできた
いつの間にか汗だくだ
長崎は、とにかく坂が多い
曲がりくねった斜面に、沢山の家やビルが山の上のほうまでへばりついている
遠く海が見える
ちらちらと光るのは、どこかの教会の十字架だろうか
いい天気だな
風は、どっちから吹いてくるんだろう
お隣の若宮神社をお参りし、それから路面電車を乗り継ぎ、長崎県美術館に移動した
こちらは隈研吾さんの建築で、港にほど近い風景に馴染む、美しい建物だ
訪れるのは初めてだった
あいにく企画展が終わったばかりで、予備知識なく常設展示を見学したのだが、簡潔に言うと、素晴らしかった
展示リストをもらい忘れたので、画家さんのお名前も作品名もわからないのだけど、特に後半の油絵が素敵過ぎて、その丁寧な描写と色の重なりにため息が出た
端正にぬり重ねられた油絵の具そのものが、光であり影であり
風であり、水であり
循環であり、瞬間であり
命だと思った
やっぱり、表現とはなにものにも代え難い
きっと私たちは、美しいを味わうために生まれてきた
この地球を感じるために、わざわざここに生まれてきたのだ
そうでありたい、と願う
わたしも、そうありたい
一階のギャラリーでは、書道の県展をやっていたので、そちらも見学して帰った
書もすごく面白い
違う宇宙が広がっている気がして、その無重力に少し触れた気がして、楽しかった
書は、言葉の世界でもある
言葉は世界の秘密を握っていて、その理にバチバチっと感電するときがあるのだ
そんなこんなで、結局夕方まで観光して、長崎を別角度から満喫した
家に帰り着いた頃には、割とヘトヘト、明日の勤務に差し支えないか心配になるくらいだった
でも、気持ちがいい
私の中に、涼やかな風が吹いていた
その風は、空へ
わたしを、青く吹き抜けて行った