2023年05月11日
カチッと
わたしとそれが、ぴったり合う時がある
この時間に、ここで
知らずに、通り過ぎることも多い
だから、あ、と思ったら、歩き(や、チャリ)を止めて、なるべくそこに戻るようにしている
その、あ、は、微かで淡い雨になりたての雨の、波紋みたいなもので、捉え損ねることがあるのだ
何かが胸に広がった、けど、何だろうと思うまもなく忘れてしまう
でも、忘れてしまうのもわるくない、、というか、とてもいい
おそらく私たちの胸では、そういう波紋みたいなものが、ぽっぽっぽぽっと、落ちては消えていく
それを想像するだけで、なんだか心地よくなる
忘れてしまった、通り過ぎてしまったもののエネルギーが、形や言葉にならないまま、見ようが見まいが降り続けてる
そんなはっきりと見えない霧の湖みたいな美しさとなって、心を揺らしている気がするからだ
前回のブログで、○と☓とおにぎりの話をした
世界は○と☓でできていて、そこにおにぎりを入れると完璧だ、おにぎりは三角だから、と寝起きのノートにわたしが書いていたという話だが
その後に、NHKの「100分で名著」という番組をみて、これだと思った
ヘーゲルさんの哲学書、「精神現象学」の解説をしていて
AとBという主義の間を模索し、Cという選択肢を探す、それをアウフベーヘンと言うらしい
難しくて上手く説明出来ないけど、おにぎりはアウフベーヘンなんだと思ったのだ
おにぎりは、おむすびとも言う
結ぶという意識で、かけ離れてしまったものを合わせて、ふっくらと炊き上げ、ふんわりとでもしっかりと握り、それを美味しくいただく
人間にはそれができるのだな、と胸がいっぱいになった
挫けそうになって、投げ出しかけて、怠けたり見ないふりしたり逃げたりしながらも、自分をあきらめずに、おにぎりを握ってきたんだな、わたしも
上手にできなくて見た目がカッコ悪いおにぎりも、沢山あっただろう
誰かにとっては、まずいおにぎりだっただろうな、と思うと、ごめんなさいだけど(^_^;)
でも、これからも、おにぎりを握っていこう
アクアパッツァとか、絶品オムライスとかはハードル高いけど、おにぎりは握れる
そう思えた
昨日母と電話で話していて
結局、お母さんの作るものが一番美味しいという話になった
人はそれぞれ口を持っていて、美味しいって、その口に合うか合わないかだ
そういえば、母のつくるおにぎりは、俵型だったな
三角でも、俵型でも、おにぎらずでもいい
具も、何でもいい
あー
おにぎりって、めっちゃ自由だ
日本の神さまも、色んなものが合わさって、おにぎりされてるんだなあ