タロット占いにはまっている
暇さえあれば、ずっとお気に入りのYouTubeを見ているのだが
タロットって面白いなと思う
大体、三択くらいで好きなカードを選び、その選んだカードの人たち向けに、更に複数枚カードを引いて占っていく
過去、こんなことがありませんでしたか
それを踏まえて、現状はこんな感じではありませんか
未来は、こんな感じになりそうです
という流れを見ていくものが多いのだが、色とりどりのタロットカードが並べられた卓上に、ある種の人生が鮮やかに展開されるのだ
わたしが見ているものは、ポジティブなYouTuberさんが多く、大半は明るいエールに溢れて、架空とも、みている方々の集合意識ともいえる物語に熱くインスピレーションを重ねていく
不思議とシンクロが連発することがあって、嘘でしょー?と驚いたり
大丈夫、大丈夫、と言ってもらってる気がして安心したり
実際に、メッセージを参考にしたりしながら
大いに励まされている
誰かのコメントで「精神安定剤みたいなものです」と書いてあったのだが、確かになあと納得してしまった
きっと、あたる・あたらない、の二者択一の世界ではないのかな
様々な種類の美しいカードをみるのも好きで、これが自分の人生の1ページやったら素敵やわあと、ときにうっとりカードの並びを眺めてみたりする
コミュニケーションって難しいなあ、とつくづく思う
自分の伝えたいことも、上手に伝えられてる気がしないし、ましてや、目の前の人が何を言いたいのか、汲み取れた気もしない
ちゃんと伝える努力をしなければ、と思ってはいるのだが、何しろ、自分が何を言わんとしてるのかさえ、じっくり聞いてあげないとわからない場合も多く
よく、こんなふんわりとした格好で対人関係がなりたってるなあ、と時にゾッとすることすらある
なりたってないのかもな 笑
それぞれがそれぞれの価値観や人生観でつじつまを合わせて、お互いに誤解しながら生きているのかもしれない
ただ、その誤解がどんな誤解かというところは、ひじょうに大切な部分だ
ネガティブな誤解より、できればポジティブな誤解をしたい
サスペンスドラマなんかを見てると、心底感じる
加害者はおおむね、とんでもないネガティブな誤解を重ねているパターンが多いから
その誤解の中にはまり込んでいくと、抜けるためのハードルはなかなかに高い
見上げるようなそそり立つ壁に囲まれて、身動きが取れなくなってしまう
「それ」しかなくなる世界とは、なんて悲しいんだろうな
真実はある、と思いたいけど、自分が作り上げた真実が氷のように心に張っていって
バリバリバリ、と割れるような、
そんな思いは、できれば二度としたくないと思うのだ
タロット占いで、わたしは何を感じたがっているのか
昨日、ふとわかった気がした
多分コミュニケーションだ
過去の自分、未来の自分含めて、もう話せないかもしれないあの人や出来事と、話したいんだ
きっと伝わっている、きっとまた伝えられる、そう思いたいんだな
それは、あくまでも架空のコミュニケーションで、現実逃避とも取れるかもしれない
でも、わたしはそうやって、自分をなぐさめ励まし、また頑張ろうと応援しているのだ
わたしは、頑張ろうとしてるんだな
春ですね
ゆっくりと歩いていたい季節です