2022年06月14日

境界線でわかれるもの
実家の近くを新幹線が通るということで、工事が始まってどれくらいたつだろう
始まる前も長くほったらかしだったので、ほんとにできるのかい、と思っていたが
とうとう、それに伴う大きな道路が完成していた
久しぶりに帰省したとき、その道路を、へーとかほーとか言いながらタクシーで通っていて
不思議なことに、実家の場所がわからなくて驚いた
タクシーの運ちゃんに場所を伝えようとして
この辺を曲がってください、のこの辺がわからないのだ
できたばかりの新しく広い、明るい、整備された道路
高速バスのバス停から実家まで、かなり短縮され、便利になっていたけど
ここはどこなんだ
この辺、が見つかった
曲がると、ぽっかりと見慣れた道が現れた
どこを工事していて、どっからどこを通るのか、何となくはわかっていたのに
いざ出来上がってみると、違和感がすごい
まるで
4K液晶のテレビから、デジタルに移行する前の厚みのあるアナログテレビに変わったくらい、解像度が違う
色も、匂いも違う
その境目は、うすーい膜がはってるみたいだった
空間と、時間がなじんでないのだ
わたしの中の「ここ」が、ここじゃなくなっていて、アップデート完了までは、きっと拭えない違和感
でも同時に、慣れてしまえばあっという間に忘れてしまう違和感
人間は、補完がうまい
補完が終われば、その前の記憶など、思い出せなくなるのだ

今年いち、早起きした
ついでに
前の夜は遅かったので、寝た気がしないどころか、昨日と今日が、そのまま続いていた
わたしは、昨日の中で、朝のバス停に一人立っていた
濃厚な香りが、辺り一面漂っていた
階段下に群生している、白い花に違いない
2日前にここに着いた時は、気づかなかった
わたしの時間は、花の匂いの中で動き始めた
わたしは、今日に立っていた

朗読ライブ「ラブ・レター」無事に終了致しました
ご来場下さったお客さま、関係者の皆さま、本当にありがとうございました
終わったら、全部、パッキングされ、わたしの記憶の中に圧縮保管されて
たまにとり出すこともあれば
キレイな形に整形したり
そのまま、頭の中の倉庫の隅に、おいやられてしまうこともある
だからみんな、その時を楽しもうとするのかな
記憶は、記憶になってしまったら、記憶でしかなくなる
どんなに強烈な感情も
曖昧な境界線で