2021年03月07日
今年に入ってすぐ、突然、濃厚接触者になった
まあ、だいたい突然なるもんなんだろうけどw
急に家から出られなくなり、けっこうな日数自宅待機してるあいだに、2021年の1月が終わっていった
陰性の結果が出る前、自分でも不思議なくらい追い込まれていた
どこかで、誰かに感染させたかもしれない
自分が関わっていた朗読劇が、これが原因で中止になったらどうしよう
あの人の娘さんは、受験生だ
あの人は施設に勤めてる
。。。
移動はチャリだし、年末年始を挟んでたこともあり、人との接触は少なかった
それでも
自覚症状はなかったから、一体いつから、どこまで、何を心配すればいいのかわからなくなって
責任をどうやってとればいいのか
混乱して
どうしようもなくて、とりあえず家の掃除洗濯消毒を、ひっきりなしにやっていた
責任って
命ひとつじゃ足りない
逃げたい
でも、どこに逃げても、人がいないとこなんてない
あったとしても、そんなとこで自分が生きていけるとは思えない
そんなアホみたいなことを、ぐぐっと体と心を縮こませ溺れるように考えて、あるラインに達したとき
自宅のトイレの鍵が、外側からかかって、あかなくなった
10年近く住んでるけど、初めてのことだった
それで、はたと我にかえった
自宅待機中で外にでれないし、トイレ出来ないと大変なこと
でも、妙に冷静な自分がいて、同居の弟を呼び彼はウンウンいいながらドアノブを解体し、元通りにしてくれた
私はその隣で
あー、自分はなんでこんなに追い込まれてるんだろう、と思った
それから
困ったことがあったらいつでも連絡してね、と言ってくれるバイト先のポス(ボスと呼んでいたら、小さいからポスにして、と言われた)
いつでも馳せ参じます、と言う友人
食料を、そっと玄関前に置いてってくれる弟の彼女や妹
段ボールにぱんぱんに、必要なものを詰めて、すぐ送ってくれた両親
運んでくれた宅急便の人(もちろんサインは書かずに外に置いてってもらった)
みんなに心から感謝した
検査結果がでる前
妹だけが、お姉ちゃん、陽性だったらいいね、と言った
なんでよ?!と驚いて尋ねると
だってお姉ちゃん無症状だし、陰性だったらこれから発症して重症化する可能性あるけど、陽性だったらひどくなる可能性少ないやん、お姉ちゃんの体が心配やけん、といった
私はこの言葉に、自分が自分の心配をなんにもしてないことに気づいて、はっとした
周りからどんな風に見られるか、ということ
もっというと、体裁ばかり気にして
自分の体のことは、一欠片も気にしていなかったのだ
これは、ある意味当たり前の反応かもしれない
だって、社会的なことは大事だし、ほんとうに怖いことだと思うから
私たちは、一人で生きてる訳ではないから
でも、私自身のことを、私自身が置いてきぼりにしていた、ということに気づいたとき、しばらく涙が止まらなくなってしまった
幼稚園のとき、鎖骨の上を犬にかまれて、7針縫った
そのとき自分が一番恐れたのは、かまれた傷のことではなく、「母親に叱られる」ということだった
5歳の自分と何も変わってないことに、ちょっと笑った
「社会」と切り離された時間は、時空の狭間のようだった
何かやらなければと、無駄にプレッシャーをかけるのを止めて、なるべく、ゆったりすごそうと決めた
あまりテレビも見なかった
ポスが、負担にならない程度の仕事を用意してくれた
朝が起きれなくなりそうだったから、朝散歩するオンラインサロンに入った
朗読劇のために、口笛の練習をした
人のいない土手を、たまにぶらっと歩いて、写真を撮った
せっかくだから、「チャクラを育てる」をやってみた
育ったかどうかはわからないw
食料は、いつもより沢山あって
私と弟の毎日は、それなりに穏やかだったと思う
目が覚めると、空の青はキレイで
雨の日は、屋根にパラパラと雫が落ちる音が、少し切なかった
曇りの日も、寒い日も暖かい日もあって
ほぼ同じローテーションを繰り返しながら、1日1日が全然違うことを、改めて感じた
鳥が高く鳴いてるのを、窓から眺めながら、こんな風に一喜一憂してるのは、私たち人間だけなんだなあ、と思った
いつの間にか、土手には菜の花が咲き始めていた
ベタだけど、地球はまわっていた
春ですね
あなたの見えている世界は、どんな世界ですか
1ヶ月近く休んだので、その分、体力気力が充実したかといえば、そうでもなかった笑
特に変わったとこもないし、逆に怠けぐせがついた気もする
でも
それでいいんだとも思う
生まれてきて、良かったな
改めて
今すごく、そう思っている