2020年12月13日

時々、なにこれー!という景色に出くわすことがある

駅前の広場は、高いビルに囲まれているため、時間帯によっては日が当たらない
そこに
そのビルの隙間から、一本の銀杏の木にだけ、光が射し込んでいた

とても不思議な光景だった
あのこは特別な木で
特別な風が吹き、深く色づいた黄色の葉が、サラサラ、サラサラと、空へ旅立っていく
チャリをとめて、そんなことを思いながらしばらく眺めていた
涙が出るほど、きれいだった
この涙は、私がホモ・サピエンスである証しなのかもしれない
沢山の人類種の中から、生き残ったサピエンス
生き残った理由は、強かったとか優秀だったとかではなく、「認知」という能力が生まれたからだという
最近、オリラジ中田あっちゃんのYouTubeをみていて、「サピエンス全史」を解説する動画にぶち当たった
大変有名な本らしい
サピエンスだけが手に入れた「虚構を信じることができる」能力
それは、私たちが私たちであるゆえの特徴だ
私たちは、その能力を駆使してこの地球に生きていることになる

想像は、美しい
創造しようと思えば、いくらでも頭の中に思い浮かべることができる
あの銀杏の光のスポットライトに、心が震えたり
大好きな人の気持ちを考えたり
テレビにうつった美味しいカレーやさんの艶々のカレーにヨダレが出たり
かと思えば、きちんと就職しなくて大丈夫かと不安になり
結婚もできなくて、将来孤独死したらどうしようと、絶望的になったり
。。ww
自由自在だ
そう思うと、日常のほとんどは、私の頭の中の話しで、想像であるといえる
私は、私の想像の中で生きているんだ
サピエンスは、共同幻想で群れを大きくしていき
さらに幻想を、目の前に形として現してきた
幻想で神をつくりあげ
幻想で戦争だってできる
本当に、とんでもない力だと言える

知り合いに「サピエンス全史」の話をしたら、本を持っていて貸してくれることになった
読んでみようと思う
自分が種としてのサピエンスだという視点は、ぶわっと私をどこか違うところへ連れていった
それは、今までみたことのない世界の見え方になる予感がする
恐竜はあれだけ繁栄したあと、この地球から忽然と姿を消した
サピエンスはどうなるだろうか
息を吸い
息を吐き
あらゆるバランスの綱を、ぐぐっと引き寄せ続け
ごくごく個人的に、いろんな未来や過去、希望や絶望を作り出しては遊んでいる
ばかばかしい
なのに、なぜこんなにも胸がしめつけられるんだろう
幸せであると知ることが、生きることだと思っていた
でも、幸せって、誰にとって?

今日テレビで、猫の多頭飼育のドキュメントをみた
ボランティアのかたが入ったおうちには、家の人がもうどうしようもなくなって飼い殺しになっていた猫が、なんと144匹いた
体に害が出るよと警告音を発し続けるアンモニア計測器をつけ、ボランティアの方々は全部の猫を捕まえて、一時預かり所へ連れていった
そこから、ワクチンをうち、去勢を行い、人に馴らし、貰い手を探す
一時預かり所から、最後の猫が引き取られていったとき、ボランティアの代表の方は涙をぽろりと流し、幸せになって欲しいと言った
幸せになって欲しい
私も、心からそう思う
その思いは、幻想だろうか