2020年10月12日

美術館お庭の展示品、ガラスの茶室

平安神宮から京セラ美術館は、歩いて2分

リニューアル後のこけら落とし、杉本博司の「瑠璃の浄土」展へGO

建物自体、各所みる価値ありの、歴史を感じる重厚さだった

中に入ると、スッキリとした清潔な新しさ
来館者を、外の様々からリセットしてくれるような階段からの真っ白な広いエントランスを抜け、私は展示会場へと導かれていった
それは、「見る」ことを問われる展示だった
自分には見えてるんだろうか
一体なにを見ようとしてるのか
なにを見ないようにしてるのか
人はなにを見てきたのか
なにを見ないできたのか
「見る」の先の「見る」
「見る」先に聞こえてくるもの
浮かび上がるもの
写真の切り取る一瞬の永遠的な有り様
真ん中の展示部屋には、「蓮華王院三十三間堂」の千体仏を記録した「仏の海」シリーズの写真が配してあった
今回の展示のコンセプトは、その「仏の海」をご本尊にしたお寺、ということらしい
私たちは作品を見ることを通して、知らず知らず、浄土という観念の中に、誘われていったようだ
光そのものを定着させるのに、納得いくまで15年かけたという、プリズムを写し取った「OPTICKS」シリーズのカラー写真が、本当に美しかった
1966年ニュートンが分光実験を行い、無色透明だと思われていた光が、鮮やかな無数の色で成り立っていると発見した
それを杉本さんが再検証し、作品にされたというけど。。どういうことかはよくわからない(^_^;)
でも、はっきりと体感できる
大きな大きな額いっぱいの、鮮やかな色
これが、写真だなんて
「光」とは、なんて綺麗で深いんだろう
鮮明で、境界は漠として
私たちは、こんなにキレイな虹色の階調の中に生きているんだと想像すると、見えないものこそ、世界の本質じゃないかと思えた
そして、「仏の海」
今回、初公開の中尊の写真が加えられた、完全版とでもいうのか
暗めの展示スペースに一歩足を踏み入れると、鐘の音が聞こえた気がした
沢山の観音さまがズラリと並ぶ風景は、あの世でもこの世でもなく
写真というものに納めることで、写真家のフォーカスした先が、濃厚に満ち、存在が立ち上がる
自然光で撮影された仏さまたちは
色は無いのに、神々しく艶やかだった
見る側は、自ずと手を合わせる
そして、自分と対峙する
潮が満ち引きしているような、呼吸を感じた
それは、自分の息なのか、仏の息なのか
暗闇の中に、瑠璃色の気配が漂っていた
人々は、浄土を見ただろうか