2020年09月21日
てんぐの鼻、ながっ
福岡三大祭の一つ、筥崎宮放生会が、今年は中止になった
その時にいつも繰り出されるお神輿が、一般公開されていたようで、最終日に見ることができた
拝殿を横からみることも、あんまりないので、天狗さんの鼻ってこんな長かったっけ?とびっくりしている
あー
気持ちがいい
秋の光は、体を透過していく
夏の日差しはもう少し、、濃いというか、とろりとしているから、日差しがまとわりつくけど
秋は、眩しくてたまらないながら、スッと体を抜けていく
といいつつ、夏が恋しい自分がいる
秋は、夏を思い、冬を思う季節でもあるな
「きれい」について考えていた
わたしはそんなに潔癖ではない
普通にそこそこ清潔にはしている、と思う
掃除は良い
気持ちがすっとするし、心も整理された気になる
掃除した方が運気もあがるっていうし
整えるって、大事だなあと思いながら
じゃあ、整ってないものは大事じゃない?とふと疑問がわいた
たとえば、お菓子を食べた手でテレビのリモコンを触る弟に、おいっ、とつっこむ私
汚いなあ、と思っている
別に弟を汚いと思ってる訳ではなく、お菓子のベタベタがついたリモコンが汚いと思う、ということなんだけど、、
これって、なんだろう
きれいと汚いを分ける私
「汚い」を、いやだなあと思う私
この、汚い=嫌だ、がエスカレートすると、私の中の「汚い」を受け付けられなくなるのかもしれない
いなかのおじいちゃん、おばあちゃんをモデルにした写真集をみた
ポップでキッチュでキュートで自由で、オンリーワンの存在感に、圧倒的な何かを感じて、むちゃくちゃ笑えるし、リスペクトだな、と思った
おじいちゃん、おばあちゃんのお家は、カオスだった
とにかく物が多い
今まで生きてきた人生に寄り添うものたちが、ところ狭しと空間を占領している
それがまたおもしろいんだけど
もし
小さい頃から、消毒、手洗い、マスク、菌は怖い汚い、という世界で生きてきたら
このカオスな場所で、ご飯が食べれるだろうか、と思う
「きれい」「汚い」をわけるものは、割りと生理的な感覚で
からだが拒否してしまうと、無理なもんは無理
優しさとか愛とか尊敬とか、そういう感情みたいなものではコントロール出来ない何かがある、と思う
もうちょっと掃除くらいしなさいよー、と弟にもやっとしている自分
私は、掃除するのがあたりまえ、きれいにするのが正しい、と無意識に思ってるんだ
そんなことを考えて、ちょっとだけ怖くなった
。。。いや、でも、リモコンは拭いて欲しいけどね
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