2020年09月11日
なんというか。。
電柱と電線って、しびれる
あの線の中を、私たちにかかせないものが走っている
それ以上に刺激されるのは、「交わる」そして「どこかへつながっていく」「離れていく」というセンチメンタルの視覚化かもしれないな
なんも考えてなさそうなのにきっと機能的な、そのビジュアルの中に、ちょっとのたるみや傾きやズレがあって
武骨な無機質さ
それでいて繊細なつくり
ノスタルジー
ギャップか
ギャップなのか?
エモい
えも言わずエモいわ
鉄塔やカーブミラーも好き
今電線は地中に埋まってきているらしい
人間はすごい
でも、ちょっと寂しい
去年の夏、私はひじょうに追い詰められていた
全身じんましんを出しながら、その波にのまれていき
そのお陰で、自分の積み上げてきた嘘の自分に気づいた
その嘘の自分は、自分を守っていた自分だったから、正確には嘘でもなんでも無いんだけど
それから立て続けに、ステータス(というものがあるとしたら)を捨てることになった
20年以上続けていた、ミュージシャンとしての自分
カメラマンとしての自分
そして、社会人としての自分
内側も外側も、全てがゼロになる経験だった
ちなみに、好きな人とも連絡がとれなくなった
自分で手放したものもあれば、強制終了したものもある
なんにもないのか、と思ったとき
記憶喪失になったみたいだと感じた
過去が全部消えて、朝起きたら、少しくたびれた自分だけがいる
私は女性だ
お腹空いてるみたい
そのくらいしか、自分をラベリングするものがない
何をすればいいのか、何かしないといけないのか
自分の感情もよくわからなかった
泣きたいのか、不安なのか
それとも、安心してるのか
それから約一年たって、感じたことがある
ひとつは、どちらにしても、過去は過去の自分だということ
今の自分ではない
それは、昨日の自分だって同じだ
つながっているようで、つながっていない
もうひとつは、一応ステータスだと思っていた経歴から、解放された身軽さがあること
経歴は、自分を語るときにすごく役立つし、一瞬価値づけにもなるけど
同時に、ミュージシャン、カメラマンを20年以上やってて今これしかできないの?という自分に対する失望感、人からがっかりされる時の恥ずかしさ、今までやってきたことをどうにか活かさなければという執着がつきまとっていた
今はその窮屈さが、あまりない
自分の器を知ることは大事だな、と思う
過小評価も、過大評価もせず、今の自分を見ることができたら、もっと気楽でいられるだろう
あ、それともうひとつ
心もとない時でも、空はキレイで、花が咲いて、日は昇り沈んだ
そのときに、鼻歌をうたっている自分がいて、これが自分だなと思えたこと
よくよく考えたら、大した話しじゃないんだろうな
辛い経験選手権があったとして、一回戦突破できるかどうか笑
でも
自分、よくやったし、よくやってる、とも思う
去年の自分も、今の自分もありがとう
なんか本当に、今まで過ごしたうん十年が、嘘みたいに遠くて実感がない
だからさ、気楽に行こう
大丈夫、大丈夫
知らんけどさ笑
自分に言ってあげよう
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