2020年05月02日
半年後、私たちはどうなってるだろうか
そんなこと、わからない
だって、私たちは明日死ぬかもしれないんだから
そう考えること自体が、怖かった
死ぬ、ということを口にしたら、それがホントになるみたいで
一体なぜそんな風に思い込んでたのか
よくよく思い出してみれば、母の口ぐせだったような気がする
死ぬとか言ってたら、ホントにそうなるかもしれんよ、口にしたらダメ
あー笑
そうやって、思い込みは一つずつ作られてゆくんだな
今日、いつの間にかYouTubeを流し聞きしていて、ふいに、半年後どうなってるか気にするのは傲りだ、という言葉が入ってきた
傲り?
どういうことかよくよく聞いていると、半年後の心配をして、今日の自分をないがしろにするのは本末転倒だ、とスマホの中の人は言っていたのだ
普通に、半年後、一年後、5年後、自分があたかも生きてる前提でそんな先の心配をするけど、私たちは、そもそも明日どうなるかわからない存在だ、という
人生って、なんか長いスパンで考えがちだけど、本当は、今日、今生きてることを人生っていうんだ、とその人は淡々と語った
私は泣いていた
そんな自分に驚いていた
今生きてることが、とても嬉しかった
今ここにいる自分が、一番大切だ
そういうことなんだと思った
そのために、今すぐお金の稼ぎ方を考える、とか、自分のために何か行動しなければ、とか、きっとそんなことではなく
もちろん、それは大事だけど
生きてくために
今、風が吹いて、カーテンが揺れていて
黒いカーテンの下で白いカーテンが日の光に輝いていて
私はチラシを一人でちんたら折っていて
コロナンが落ちついたら、このバイト先のチラシをどこに配るか考えていて
心は平和で
すごくすごくありがとうって思っていた
手紙を書くように
あの時あの人に出会えたこと、言われた言葉、言えなかった言葉、聞けなかったこと、今元気にしてるかな、ということ
そして、今目の前にいてくれる人たち
会える人
会えない人
いろんな人たちのことを頭に浮かべていた
届いても届かなくても
忘れても忘れなくても
きっと、目に見えなくても在る
そして、私を守ってくれてるものは、生まれてからの繋がりだけでなく
御先祖さまがつくってくれた抗体とか
日本人が作り上げてきた、手を洗うとか靴をぬぐとか、そういう文化とか
気づくことのないものも含まれるかもしれない、ということに思いを馳せる
その、大きな大きな、神様のつくるパズルのような恩恵の中で、私の今日は出来上がっている
もう、誰にありがとうと言ったらいいのか、わからんわー!
そう言うても、死ぬのは怖い
けど、今日は生きているから
じゃあ
とりあえず、このチラシを丁寧に折ることにしようと思う
☆インスタ「影のテキスタイル」やってます☆
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