2019年06月10日
紫陽花と朝顔(夕顔?)の組み合わせが好きだ
野放しにされて、自由に行きたいところに行き、咲いている
紫陽花、朝顔、夕顔
漢字の美しさに、惚れ惚れする
単語には、物語が秘められて
声に出すと、その物語が、一気に流れ出す
日本語は、私を語りべにしてくれる
木喰、という仏師の特集番組をみた
45歳で「木喰」を名乗り、93歳で亡くなるまで、日本中を旅し、各地で仏像を彫り続けたそうだ
何ももたず、ただ一人
何も持たないからこそ、仏の全てがあったという
その人に、人は寄り
その手から生み出される仏様は、丸みを帯びた微笑を浮かべていた
目に見えない、オーラを形にしたような造形
ほほえみという光を、見ているようだ
仏像を託された地域の中には、歴史の流れで、手放してしまった所も多くあった
そもそも日本中に散らばっていた訳だし
それを見付けだして、調査した人物がいる
柳宗悦という、「民藝」という概念を作った方らしいが、詳しい話は私にはよくわからない
美に気づく
それに気づけることは、どんなに素晴らしいことか
それは、そのものの本質に気づくということだ
気付かない人にはわからない美しさ
わからなければ、何も生み出でない
だから美しさに気づく人は、それと同質のものを心に宿している、ということなんだろう
木喰の仏像を見ながら、柳宗悦は、その美しさに気づいたのだな、と思った
誰も気づかなかった、微笑の慈悲、その深さに触れ、寝食も忘れ、仏像を巡ったのだ
美しさに気づける人でありたい
毎日毎日、美しさに気づいていたい
知りたい
キレイの秘密を、知りたい
あら
美容系のキャッチコピーみたいになっちゃった