2018年12月14日

2ヶ月半くらい前に機種変した
前の携帯が大大好きで、全く変える気なかったのに、機種が古くてネットが使えなくなるよーみたいなことを言いだして
リミットギリギリまで使って、ようやく変えた
よく使いましたねーと、いい感じの店員さんにほめられた
これは、前の携帯で撮ったもの
雨でも無いのに、しっとり艶っぽい
くっきりはっきり写せないけど、何となく、そのものの本質が写ってしまう気がしていた
よりはっきりと鮮やかに、解像度をあげまくって、今のテレビなんかも、ものすごいグレードで対象を映し出すけれど
もしかしたら、そのものの本質からは、遠ざかってるのかもしれない、と思うことがある
私達は、形、色、匂い、感触、雰囲気、様々な感覚のバランスで出来上がっている存在だ
視覚を特化したアプローチで近づくと、見えないものが見えてくるんだろうけど
例えば、聞こえていたものが、聞こえなくなるんじゃなかろうか
あなたを、みる
こんな単純なことが、途端に難しく思えてくる
私は、母方のじじばばと、一時期一緒に暮らしていた
小さい頃だ
多分、相当可愛いがってもらった
毎日毎日、近くの商店街に行ったり、銭湯に行ったり
私が欲しいと言えば、お菓子なんか沢山買ってくれてたんだろう
めちゃくちゃ虫歯だらけの子供だった笑
その頃のじじばばは、病気で入院してる間に、家が不審者の火の不始末で全焼し、帰る家がなくなって、母の所に身を寄せていたらしい
昔の田舎の人だったから、少し都会の環境に馴染めていたのか、私にはわからないけど
どんな気持ちで日々を過ごしていたかと思うと、涙が止まらなくなる
帰る家がなくなって
思い出も全部燃えてしまって
一からやり直すには、年をとりすぎていて
子供や孫はいるけれど
どんなに帰りたかっただろう
でも、帰る場所はもうない
母の姉を駅に見送りにきて、二人は、改札口でいつまでも手を降っていたんだって
私はこの話をおばから聞いて、思い出す度に、幼い自分はじじばばに、何か出来ただろうか、と思う
だから今度、じじばばに会ったら、家を作ってあげたいと思う
天国だったら、きっと、お金もかからんだろう笑
好きなように、作ってあげたい
一番幸せだった頃の家を、作ってあげたい
最後はじじは病院で、ばばはホームで亡くなった
二人は亡くなるまで、何年も会えなかった
まだ子供だった私は、お見舞いにいくのも、めんどくさいなあと思うことがあった
ごめんね
おじぃちゃん、おばあちゃん
年を重ねるごとに、私は、違う二人に出会う
見えるものが、変わってくるからかな
みる、ということは、時空を越えることもあるんだね