雨上がりの帰り道
歩道橋から見た夕日は、何気なくて、とてつもなかった
心は沸点を超えた
本当に、本当に
この世界はきれいで
本当に、本当にきれいで
その時初めて、亡くなった友人は、きっとこんな風に世界をみていたんじゃないか、と気づいたきがした
ちょうど一年前くらいになる
幼馴染みが亡くなった、と連絡を受けた
お互いそんなにまめなタイプではなく、年に1、2回会うかどうか、という感じで
最後に会ったのは、乳ガンで余命宣告される直前だったようだ
その後彼女から病気の話しはなく、結局私は何も知らないまま、彼女のお葬式に参列した
それから私は変わった
やりたいことをやる
会いたい人に会う
大好きな人に、大好きと伝える
気が乗らないことはやらない
出来ない時もあるけど、それが自分のセオリーになりつつある
彼女のかわりに、そう思った訳ではない
でも一つ、引っ掛かっていた事があって
私は、彼女の痛みを分かち合うどころか、お見舞にすらいけず、彼女のために何も出来なかった
それは彼女の望んだことで、近くにいる人以外は誰にも知らせていなかったそうだ
私は弱いから、もし知らされてても、距離を理由に現実から逃げたかもしれない
そんなプレッシャーを、まわりにかけたくなかったのかもしれない
気を使われたくなかったのかもしれない
私なら、どうしただろうか
だけど、どんな風に治療にのぞみ、どんな風に病気を受け入れ、どんな風に泣いて、どんな風に笑い、どんな風に最後の時を過ごしたのか、何もわからない
おしゃべりが大好きだったのに、もうきくことも出来ない
彼女は私がライブする時、遠いのに、よっぽどじゃなければ聴きに来てくれた
私が実家に帰省して、急に会いたいといえば、時間をあけてくれた
彼女と話をすると、すごく安心できた
小さな幸せで、大笑い出来る子だった
小学生の時の夢が、健康で優しいおばさんになる、というグレイトさで
いつもいつも、私を子供の頃に戻してくれた
私は結局、なんの役にもたてない、愛されない人間
みんな自分から離れていく
そんなふうに、無意識に思っていたかもしれない
でも、きっと違うのだ
彼女が亡くなった時、お姉さんが、私には連絡した方がいいと思って、一人だけ電話をくれた
はかったように、彼女のお葬式は、私が実家に帰省するためにとったお休みの日だった
どこかで繋がっていた、と思えば、彼女も、身勝手な自分も、浮かばれるだろうか
彼女のかわりに生きることは出来ない
でも確実に、彼女は私の一部だ
その上で、自分のために、やりたいことをやる
自由に
一年かかったんだなあ
今日、夕日を眺めながら、そう思った