2018年06月23日

雨上がりの帰り道

歩道橋から見た夕日は、何気なくて、とてつもなかった

心は沸点を超えた

本当に、本当に
この世界はきれいで

本当に、本当にきれいで

その時初めて、亡くなった友人は、きっとこんな風に世界をみていたんじゃないか、と気づいたきがした

ちょうど一年前くらいになる

幼馴染みが亡くなった、と連絡を受けた

お互いそんなにまめなタイプではなく、年に1、2回会うかどうか、という感じで

最後に会ったのは、乳ガンで余命宣告される直前だったようだ

その後彼女から病気の話しはなく、結局私は何も知らないまま、彼女のお葬式に参列した

それから私は変わった

やりたいことをやる
会いたい人に会う
大好きな人に、大好きと伝える
気が乗らないことはやらない
出来ない時もあるけど、それが自分のセオリーになりつつある

彼女のかわりに、そう思った訳ではない

でも一つ、引っ掛かっていた事があって

私は、彼女の痛みを分かち合うどころか、お見舞にすらいけず、彼女のために何も出来なかった

それは彼女の望んだことで、近くにいる人以外は誰にも知らせていなかったそうだ

私は弱いから、もし知らされてても、距離を理由に現実から逃げたかもしれない

そんなプレッシャーを、まわりにかけたくなかったのかもしれない
気を使われたくなかったのかもしれない

私なら、どうしただろうか

だけど、どんな風に治療にのぞみ、どんな風に病気を受け入れ、どんな風に泣いて、どんな風に笑い、どんな風に最後の時を過ごしたのか、何もわからない

おしゃべりが大好きだったのに、もうきくことも出来ない

彼女は私がライブする時、遠いのに、よっぽどじゃなければ聴きに来てくれた

私が実家に帰省して、急に会いたいといえば、時間をあけてくれた

彼女と話をすると、すごく安心できた

小さな幸せで、大笑い出来る子だった

小学生の時の夢が、健康で優しいおばさんになる、というグレイトさで

いつもいつも、私を子供の頃に戻してくれた

私は結局、なんの役にもたてない、愛されない人間

みんな自分から離れていく

そんなふうに、無意識に思っていたかもしれない

でも、きっと違うのだ

彼女が亡くなった時、お姉さんが、私には連絡した方がいいと思って、一人だけ電話をくれた

はかったように、彼女のお葬式は、私が実家に帰省するためにとったお休みの日だった

どこかで繋がっていた、と思えば、彼女も、身勝手な自分も、浮かばれるだろうか

彼女のかわりに生きることは出来ない

でも確実に、彼女は私の一部だ

その上で、自分のために、やりたいことをやる

自由に

一年かかったんだなあ

今日、夕日を眺めながら、そう思った